書評:馬の愛情表現とは
未分類 - 2022年08月26日 (金)

ホースマンにお勧めの本を紹介します。以下は、この本の要点の抜粋です。
参考資料:What Horses Really Want. Horse Illustrated, Horse Books: Jan14, 2022.
馬は、人間の下僕ではなく、友人になりたいと思っています。馬は、友人である人間のために考えるのです。その結果、馬は、私たちの指示に従わなかったり、指示していないことを実行したりしますが、それはとても良いことです。なぜなら、そのような行動は、馬が人間をパートナーと見なして、人間とコミュニケーションを取り、人間の安全を図り、信頼と愛情を示しているからです。
しかし、人間は、そのような馬の行動を、反抗していると解釈してしまい、時には罰を与えてしまいます。それはちょうど、私達の言うことを無視したり、私達の行動を誤解する他人と同じように、その馬を扱っている事になります。結果として、私たちは大事な情報を見逃し、馬にとっては、安心ではなく不安の源になってしまうのです。
馬が、人間のパートナーとして取る行動のうち、悪癖と見なされてしまうものには、以下が含まれます。人間とコミュニケーションを取るきっかけを作ること。人間が求める事を探したり経験しようとすること。人間が指示することを察すること。過去に褒めてもらえたことを率先して実行すること。馬なりに正当な理由があって人間の指示に従わないこと。人間への信頼と愛情の意志を示すこと。ここでは、後者の2つを解説します。
正当な理由があって人間の指示に従わないこと
あるとき、著者が愛馬のサフィアー号と外乗に出かけたとき、いつもは問題なく渡ってくれる小川の前で躊躇して、その小川を渡らなくなりました。著者は、それを反抗ではなく警告だと察しました。人間には安全に見えても、サフィアーはその水流に危険を感じたのです。そして、藪や沼地を通過するような、より難儀な別路を敢えて通っていったのです。
数週間後、サフィアーが正しかったことが分かりました。同じ場所を外乗する著者の知り合いから電話があり、その川底が脆くなっていって、小川の中に陥没を生じていたそうです。あの時には、それが見えにくかっただけだったのです。
正当な理由があって反抗することは、「利口な不服従」と呼ばれます。盲導犬は特にこれを行なうように訓練され、目の見えない主人が交通事故に遭うのを防ぐことが出来ます。馬にとって、利口な不服従は、同じ群れの仲間として、当然の責任ある行動なのです。

馬は、視覚、聴覚、臭覚、そして、蹄を通した地面の触覚を使って、人間には分からないものを感じ取ります。騎乗者の扶助にミスや不正確さがあると、馬は何をすべきか自ら判断しなくてはいけなくなるのです。予想外の状況では、馬は人間より素早く判断する必要があります。そのような安全への配慮をしてくれた馬に罰を与えていると、馬は危険な動物になっていってしまうのです。
著者が経験した最悪の落馬は、間違った扶助に馬が従ったことによって発生しました。その結果、著者と馬は、障害の上に崩れ落ちました。もし馬が反抗してくれていれば、著者は怪我をせずに済んでいた筈です。この時に著者は、馬に完全な服従を求めることの危うさに気付いたのです。
利口な不服従は、馬が不安定な足場で減速したり、信頼できない足場に踏み入るのを拒否したり、騎乗者がバランスを崩した状態で飛越したり、危険な状況を回避するため別路を取るなどの行動を指します。自然界では被食者(肉食獣に食べられる立場にある動物)である馬は、転んだり逃げ場を無くすことを望みませんし、そのような馬の用心深さが人間を守ってくれるのです。
人間は、馬の不服従を許してしまうと、ドンドン不従順な馬になっていってしまうと心配しますが、現実はそれとは逆なのです。もし私たちが、馬の正しい判断を尊重しなければ、馬の信頼を失ってしまいます。人間が馬を信じるからこそ、本当に人間が馬の判断を覆す必要が出たときに、馬は人間を信頼してくれ易くなります。もし私たちが、危険を察知する馬の判断が正しいと感じれば、最初のプランを止めて、別の方法に変えることで、意思決定者の立場を維持することが出来ます。
人間への信頼と愛情を示すこと
馬が人間に愛情を持つことは、感情的な理由を除いても、非常に意味のあるものです。馬がトレーナーに愛情を感じると、強い安心感を持ち、落ち着きと集中力を保てるため、より多くを学ぶことが出来ます。安心感の無い馬は、怖がったり注意散漫になります。つまり、馬が愛情を持ってくれることは、トレーニングの手法とは別の側面から、調教がうまくいくかに影響してくるのです。
犬が人間に愛情を持つことを疑う人は少ないですが、馬に愛情を持たれていると感じる人は稀です。その場合、馬を売却することへの抵抗も少なくなります。しかし、多くの馬は人間に愛情を持ちますし、それはとても深い愛情です。

著者は、愛馬のサフィアーに出会ったときにそれを感じました。昔のオーナーは、ウェスタン乗馬を目指していましたが、サフィアーは、アリーナで同じことを繰り返すのが苦手で、自然の中にいることを好みましたので、用途変更は理に叶ったものでした。
昔のオーナーが、著者のもとに初めてサフィアーを連れてきて、トラックで去っていくとき、サフィアーは「置いていかないで」と切ない声でいななきました。また、その翌年、著者はサフィアーを大学病院に連れて行き、跛行検査のため一晩そこに預けました。著者が去る時には、サフィアーは寂しさで叫び声をあげ、そして翌日に再開した時には、大人しい模範患者になったのです。人間に強い愛情を持つことに関して、サフィアー号が特別という訳ではありません。サフィアーは、単に察するのが早く、不安を明瞭に表現するだけなのです。
馬が人間に愛情を持っていることの徴候には、以下のようなものが含まれます。人間の訪問をいななきで歓迎してくれること。食べかけのエサに背を向けて人間に挨拶しに来ること。人間がブラシ掛けをしながら話しかけ、痒いところ掻いてあげ、共に時間を過ごすことに、安心と満足を示すこと。放牧場に放したときに直ぐには人間から離れていかないこと。何も声を掛けなくても人間のほうに振り向くこと。
馬が気を引こうとする行動は、愛情を示すものの一つです。一方で、馬が恐怖を感じたときに、人間にピッタリ体を寄せてくる行動は、少し心配だと思います。馬が人間のパーソナルスペースを理解できていないと、まるで私たちにのし掛かってくるかのように行動します。馬にとっては、子馬が母馬に体を寄せていると感じているにも関わらずです。
人間誰しも、500kgもある興奮した動物に近寄られたくはありませんので、そのような子馬のような、リーダーシップを求めてくる行動は好ましいとは思えません。馬がパーソナルスペースを尊重することを学んでいれば、人間に危険を及ぼすことなく、安全と導きを与えてくれるものとして私たちを認識してくれるからです。
人間が試してみること
馬が人間をパートナーと見なしている行動について思い浮かべてみて下さい。もし何も思い浮かばないのであれば、何かを変えるべき時かもしれません。また、馬の独特な個性表現を、不服従だと誤解していないかを思い返してみましょう。そのような馬の行動に、どのように反応するのが望ましいのかを考えるのが重要なのかもしれません。
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