馬の開腹術と腹腔探索
診療 - 2022年08月27日 (土)

馬の開腹術と腹腔探索のまとめです。あくまで概要解説ですので、詳細な手技は成書や論文をご確認ください。
馬の開腹術は、全身麻酔下での背臥位で実施されることが一般的です。剃毛する範囲は、胸骨と肋骨端、および、左右鼠径部までの領域となります(上図左)。手術の開始時には、執刀医が馬の左側に、サブオペが馬の右側に立ちます(上図中)。ドレーピングでは、腹底全面をアイオバンで覆ったのち、通常の正中開腹術では、頭側に一枚、左右の横腹に一枚ずつ、および、左右後肢に一枚ずつの、計五枚のドレープで覆います(上図右)。
馬の消化器疾患における開腹術では、正中切開(下図左のA)が選択されることが殆どで,、臍から頭側へと切開を進め、小腸疾患では25~30cm長、大腸疾患では30~45cmの切開創を設けることが一般的です。皮膚と皮下識を切開した後、臍のすぐ頭側の位置で白線を切開したら(最も腹壁が薄い箇所)、ピンセットを腹直筋層の裏側に入れて、腹膜や腹腔臓器を傷付けないようにしながら、メスの腹の部分を使って、頭側へと切り進めます(下図の右上写真)。腹膜を開くときは、正中線にある線維状ヒモ(尿膜管の遺残物)をピンセットで摘まみ上げて、メッツェンバーム剪刀でその真ん中を切開します(下図の右下写真)。

開腹術のための解剖学
馬の腹腔臓器の位置関係は、立位でも背臥位でも基本的には同じです。しかし、立位での解剖学しか頭に無いと、背側と腹側が入れ替わっている状態でのイメージが湧きにくく、また、開腹術では、臓器位置に異常をきたしているケースも多々あります。このため、開腹術での腹腔探索や臓器整復を能率的に行なうためには、背臥位にて腹底を開いた状態での解剖学を、立位のそれとは別物として記憶しておき、臓器や構造物の解剖学的な位置関係を、三次元的にイメージできることが望ましいです(下図)。

馬体を腹側から見たときに(下図)、腹腔域を時計に見立てて、胸骨を12時、肛門を6時とした場合、時計の真ん中には盲腸尖があり、12時の位置には結腸の胸骨曲、1~2時の位置には胃、2~4時の位置には左側結腸や脾臓、5時の位置には結腸の骨盤曲や小結腸、6時の位置には膀胱、7~8時の位置には盲腸基底部、8~10時の位置には右側結腸、10~12時の位置には肝臓があります。なお、下図左は、腹底壁を取り除いた状態の臓器位置を示しており、下図右は、更に盲腸・結腸・小腸・小結腸などを取り除いた状態の臓器位置を示しています。

盲腸および結腸の探索
腹側正中を切開して、腹腔に到達した後は、いきなり腹腔全域を細かく触診するのではなく、以下の優先順位で探索を開始します:①切開創から突出してくる消化管の病態確認(膨満した盲腸や空腸など)、②術前検査で疑われる病変部位の触診や視診、③明らかに通常と異なる部位の病態確認。このうち、③では、膨満または硬化した消化管を触知することが最も重要で、その他には、固く緊張した腸ヒモ、正常と異なる方向に走行する消化管、正常と異なる触感の消化管(肥厚、浮腫、冷感など)などが含まれます。これら①~③によっても、一次病変が見つからない場合には、以下の手順で腹腔探索をしていきます。また、一次病変が見つかって、その病態確認が終わった後にも、一次病変の整復前に、併発病変が無いかの確認のため腹腔探索をします。
開腹直後には、盲腸尖が最初に視認されることが殆どであるため、次に盲腸基底部を触診し、盲腸の外側ヒモを追跡して盲腸結腸ヒダに到達し(下図左)、それを追跡して右腹側結腸を触診します。この時点で、盲腸が重度にガス性膨満している場合には、盲腸壁を穿刺して抜気します。なお、小腸疾患では、盲腸が腹腔右側で縮んでいたり、盲腸重責では盲腸が発見できないこともあります。

右腹側結腸を触知した後は、胸骨曲(横隔曲)→左腹側結腸→骨盤曲へと追跡していき、結腸のU字型走行や腸ヒモの異常が無いかを触診します。結腸捻転があれば、腸ヒモの緊張や捻じれが触知され、右方変位や結腸反転があれば、骨盤曲の位置の不正が触知されます。また、左方変位では、骨盤曲は正常位置にも関わらず、結腸が脾臓と左腹壁の隙間へと走行しているのが視認され、腎脾間に引っ掛かっているのが触診できます。結腸を創外に出すときには、手指ではなく前腕部を使って結腸を持ち上げることが重要です(上図右)。
結腸に一次病変があって膨満している時には、執刀医は馬の右側に回ったほうが、結腸の下に腕を入れやすくなります。また、結腸がうまく引き出せない場合は、結腸壁を穿刺して抜気した後、結腸を頭側や右側に引っ張ってから上に持ち上げたり、サブオペに左腹壁を挙上してもらったり、カルボキシメチルセルロース液を腹腔内に流し入れたり(潤滑剤として作用する)、切開創を頭側に広げたりします。結腸を創外に引き出した後は、結腸全域を慎重に視診および触診します(下図左)。なお、これ以降は、創外に出されている消化管には、間欠的に生理食塩水を滴下して、漿膜面が乾燥しないように努めます。

小腸の探索
結腸の触診後は、ふたたび盲腸を創外に出して、盲腸の背側ヒモを追跡して回盲ヒダに到達し(上図右)、それに繋がっている回腸を触診します(下図左)。回腸の食滞や、回腸盲腸重責があれば、この時点で触診できます(この部位の目視は困難)。その後、小腸ループを創外に引き出しながら、回腸→空腸→十二指腸へと追跡していきます(下図右)。その間、小腸壁の色、肥厚、蠕動、点状出血などを精査します。また、その途中に、脂肪腫やメッケル憩室バンドによる絞扼、寄生虫による膨満箇所、重責が無いかを確認します。
もし、途中で小腸が引き出せなくなった時には、腹腔内へと腸管走行を追いかけていき、絞扼箇所が無いかを触診および視診します。正常の小腸では、遠位回腸から遠位十二指腸までは切開創から視認できるので、この範囲内の小腸が目視できなければ、腸間膜根での捻転、網嚢孔への捕捉、腹壁との癒着などが考えられます。重度の小腸膨満で視認や触診が困難な場合は、小腸内容を順繰りに絞るようにして盲腸へと移送させた後、盲腸を穿刺・抜気します。

腸間膜根は、扇状に血管走行している腸間膜を背側へと追跡することで到達でき、捻じれや肥厚が無いことを確認します(下図左)。また、右背側結腸を追っていくと、腹腔背側部を横断している横行結腸が触知され(下図右)、それを追跡することで、小結腸および直腸に達します。小結腸の一部は創外に引き出せるので、異常所見を視認します。

左右腹壁領域の探索
左側の腹壁に沿って手を押し込んでいくと、腎脾間隙が触知されるので(下図左)、腸管の捕捉が無いかを触診します。その後、手を頭側へ滑らせていくと、肝臓の手前に胃が触知されるので(下図右)、膨満や硬化が無いかを触診します。

右側の腹壁に沿って手を押し込んでいくと、胃の裏側に幽門部を発見できるので、そこを走行する十二指腸を触診します(下図左)。その後、肝臓の内側に手を進め、内側葉から尾状葉へと触診していき(内側葉と尾状葉の隙間を通過)、尾状葉と門脈のあいだに網嚢孔を触知します(下図右)。

馬の開腹術と腹腔探索で重要なこと
一般的に、馬の腹側正中切開では、胃腸臓器の3/4程度を創外に出して視認、および、外科的操作できると言われています。しかし、実際の疝痛症例では、膨満した腸管で視野が妨げられたり、変位や絞扼によって消化管が引き出せないことも多く、また、腹圧が上がっているケースが多いため、切開創をいたずらに広げることも困難となります(閉腹時に腹壁を縫合閉鎖するのが難しくなるため)。その結果、目視可能な範囲が限定された中で、盲目的な腹腔内の触診による情報だけを頼りに、腹腔全域の病態を迅速に把握する必要が出てきます。
このため、馬の開腹術の執刀医には、腹腔臓器の解剖学的な位置や触感を熟知しておいて、腸管の位置関係の異常や、触診したときの異常所見を素早く見極められる能力が求められます。そうすることで、不必要な腹腔内探索を避けられ、臓器ハンドリングによる漿膜面の損傷(術後の癒着の原因となる)を抑えられるだけでなく、短時間で確定診断をつけることで、腸管の整復、切除、吻合などの外科的処置に割ける時間を確保できることになります。
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