馬の幹細胞治療は本当に効くのか?
話題 - 2022年09月09日 (金)

馬の運動器疾患には、屈腱炎や繋靭帯炎、関節炎などの難治性の病気も多く、抗炎症剤やヒアルロン酸の全身又は局所投与、ショックウェーブ治療、多血小板血漿の局所投与などの治療法が実施されています。また、近年では、間葉系間質細胞(Mesenchymal stromal cells)などの幹細胞を局所投与する再生医療も、様々な疾患に応用されて、良好な治療成績も報告されています。その一方で、幹細胞治療における有効投与量(注射する細胞数)、治療効果の高い細胞の種類や由来、適切な注射頻度などは明確ではないことから、臨床医の経験則によって加療されているのが実態だと言えます。
馬の臨床現場における幹細胞治療の実態調査をするため、下記リンクの研究では、2016~2019年にかけて、腱・靭帯・関節疾患に対して幹細胞治療が実施された馬65頭における、医療記録の回顧的調査が行なわれました。なお、幹細胞の種類としては、骨髄由来が92%と大多数を占めており、残りの8%は脂肪由来となっていました。
参考文献:
Bernardino PN, Smith WA, Galuppo LD, Mur PE, Cassano JM. Therapeutics prior to mesenchymal stromal cell therapy improves outcome in equine orthopedic injuries. Am J Vet Res. 2022 Aug 18; 83(10): ajvr.22.04.0072. doi: 10.2460/ajvr.22.04.0072. Online ahead of print.

幹細胞治療の効能に関する評価
結果としては、幹細胞治療によって跛行検査での歩様改善が認められた馬は59%に上っていた一方で、このうち、その幹細胞治療より前に別の治療が実施されていた馬の割合は、歩様改善した馬では62%もいたのに対して、歩様改善しなかった馬では44%に留まっていました。つまり、幹細胞治療で歩様が改善したように見えた馬では、他の先行治療が奏功していた可能性もあると推測されました。また、幹細胞治療によって画像診断での病態良化が認められた馬は77%に達していた反面、その幹細胞治療より前に別の治療が実施されていた馬の割合は、病態良化した馬では90%もいたのに対して、病態良化しなかった馬では0%でした。つまり、幹細胞治療で画像上の病態良化が達成されたように見えた馬でも、実際には、他の先行治療が効いただけだ、という可能性が高いと考えられました。
この研究では、跛行検査や画像診断によって幹細胞治療の効き目が確認されたように見えた症例においても、実際には、先行して実施された別治療が効いていたに過ぎない、という可能性が示唆されています。また、これらの症例に対する治療方針として、幹細胞注射がメインの治療法であった症例は17%に留まっていた事から、別治療と併行するかたちで幹細胞治療が実施されている実態が浮き彫りになっていました。その場合、先行治療による効能をフェアに判定することで、高額になりがちな幹細胞治療の実効性を確かめることの重要性が再確認されたデータだと言えるかもしれません。ただ、幹細胞治療の実施は無作為ではないため、他の治療に不応性だった重篤症例に対して、最後の手段として幹細胞を注射した(その結果、幹細胞も効きにくかった)というバイアスが作用した可能性は否定できないと考えられます。

幹細胞治療の効能の診断法について
この研究では、幹細胞治療の後に、跛行検査での歩様改善と、画像診断での病態良化が一致していた馬は78%に上っていました。しかし、これら両方が実施されていた症例は14%に過ぎず、見た目の跛行が改善していれば、画像診断を再実施しないケースもあったと推測されます。再診時に跛行検査しか行なわないこと自体は、治療費の面からも正当だと言えますが、その場合には、幹細胞治療を行なう際に別治療は中断するなどして、幹細胞治療そのものが実際にどの程度の効能を示すかを見極めるべきなのかもしれません。
この研究では、幹細胞治療を適応した疾患としては、屈腱炎が最も多く(42%)、次いで、靭帯炎(26%)、関節炎(25%)となっていました。一方で、これらの疾患で画像診断が実施された馬の割合は57%に上ったのに対して、診断麻酔が実施された馬の割合は19%に留まっていました。一般的に、跛行の診断を画像のみに頼ってしまい、診断麻酔による疼痛箇所の限局化を行なわなかった場合には、疼痛を伴わない古傷に対して幹細胞治療を実施してしまって、治療に不応性を示すという可能性もあると考えられます。そして、臨床医の傾向として、高額な幹細胞治療がまったく効かないという結果を恐れて、別治療を同時並行で処方してしまうこともあり得るかもしれません。

幹細胞治療における問題点や課題
この研究では、幹細胞のソースとしては、自家細胞は40%に過ぎず、他家細胞が60%と過半数を占めていました。馬の幹細胞治療において、他の個体から得た細胞を注射する行為は、生物ドーピングの問題が指摘されるのみならず、ウイルス等の病原体の伝搬経路になるリスクも否定できないことから、実施には慎重を期するべきと考察されています。また、幹細胞の注射方法としては、病巣内投与が69%と最も多かったものの、局所肢灌流による投与も23%に上っていました。再生医療の実施に際して、細胞を局所灌流すると、血栓症を続発する危険性も懸念されているので、幹細胞治療の副作用を監視することも忘れてはいけないと言えるでしょう。
この研究では、幹細胞治療によって跛行改善した馬の割合は、屈腱炎では75%、靭帯炎では60%、関節炎では55%となっていたのに対して、画像診断で病態良化していた馬の割合は、屈腱炎では83%、靭帯炎では75%、関節炎では67%と、いずれの疾患でも、画像のほうが高い効能が示される結果になりました。しかし、このデータは、画像の診断能が高いという意味ではなく、跛行が改善しない馬では、敢えてお金をかけて画像診断を再実施しないケースもあった、という臨床医のバイアスが働いたものと推測されます。幹細胞の治療効果を明瞭に確認するには病理組織学的検査が必須であることを鑑みると、やはり、幹細胞治療の臨床応用に先立って、充分な基礎研究の知見を積み重ねることが大切なのかもしれません。

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