馬の疼痛エソグラムの有用性
話題 - 2022年09月23日 (金)

馬の健康問題で最も多く見られるのが運動器疾患であり、運動器の疼痛によって歩様の左右対称性が失われた状態を、一般的には「跛行」と呼んでおり、点頭運動やヒップボブ動作によって跛行の存在が視認されてきました。しかし、近年では、騎乗時の馬の行動様式から、運動器の疼痛を検知しようという試みがあり、幾つかの馬の行動パターンが、疼痛の存在と相関することが分かってきました。もし、馬が疼痛を感じているか否かを、微妙な馬の行動変化から読み取ることが出来れば、それを跛行前駆症状と見なして、休養を置くなどの悪化予防の対策を取ることが可能となります。また、そのような騎乗時の疼痛行動のなかには、パフォーマンス低下に直結するものもありますので、行動変化も疼痛の症状に含まれると考えれば、「痛みが歩様不整を起こしたら跛行」という今までの常識が覆されて、「痛みが行動変化を起こしたら跛行」という新たな定義が生まれる可能性もあります。
騎乗時の馬の疼痛を示す行動様式としては、以下の24種類が評価されています。
行動①:頭部の位置を繰り返し変更する。
行動②:頭部を繰り返し左右に傾ける。
行動③:鼻梁が垂直より30度以上になるほど鼻先を突き出す(10秒以上)。
行動④:鼻梁を垂直よりも10度以上巻き込む(10秒以上)。
行動⑤:頭部の位置を頻繁に変えたり頭部を左右に振ったり上方へ振り上げたりする。
行動⑥:耳をふせる(5秒以上)。
行動⑦:目を閉じたり(2-5秒)頻繁に瞬きする。
行動⑧:繰り返し白目が見える。
行動⑨:騎乗者を緊張した目つきで見返す(5秒以上)。
行動⑩:繰り返し開口する(10秒以上)。
行動⑪:舌を頻繁に出し入れする。
行動⑫:ハミが口角から左右に出入りする。
行動⑬:尻尾を真下に巻き込んだり片方に曲げて保持する。
行動⑭:尻尾を上下・左右または円を描くように激しく振り回す。
行動⑮:慌てたように歩数が増したり(15秒で40歩以上)は速歩や駈歩でリズム不整や速度が頻繁に変わる。
行動⑯:不活発に歩数が減ったり(15秒で35歩未満)パッサージュ様の速歩をする。
行動⑰:速歩又は駈歩で後肢が前肢の蹄跡を踏まなかったり左右にズレたり(3歩以上)。
行動⑱:逆手前の駈歩を頻繁に出したり前後肢の手前が合わない。
行動⑲:勝手に歩様を変える(速歩→駈歩または駈歩→速歩)。
行動⑳:何度も蹉跌したり両後肢の蹄尖を引きずる。
行動㉑:扶助に反して動きの方向を急激に変えたり驚いて暴れる。
行動㉒:歩様を伸ばすのを嫌悪したり勝手に止まる。
行動㉓:後肢で立ち上がる。
行動㉔:後肢で蹴ったり後退する(片後肢または両後肢)。

英国の跛行診断の専門家であるスー・ダイソン博士らは、①~㉔のような行動様式の有無を判定して点数化するシステムを確立しており、これを「騎乗時の馬の疼痛エソグラム」(Ridden Horse Pain Ethogram)と呼んでいます。そして、この疼痛エソグラムを用いた研究[1]では、60頭の競技馬が騎乗されているときの行動様式を評価した後、その際の跛行グレードおよび騎乗者のスキルスコアとの相関が解析されました。
結果としては、健常馬と跛行馬を比較した場合に、複数の疼痛エソグラムの項目において、発現する頻度が明瞭に異なる傾向が認められました。両郡で有意差があった例としては、馬が耳を後ろに伏せる行動(5秒以上)を示す割合は、健常馬では44%でしたが、跛行馬では77%に上っていました(上述の行動⑥)。また、騎乗者を緊張した目つきで見返す行動(5秒以上)を示す割合は、健常馬では50%でしたが、跛行馬では82%に上っていました(行動⑨)。さらに、何度も蹉跌したり両後肢の蹄尖を引きずる行動を示す割合は、健常馬では31%でしたが、跛行馬では64%に上っていました(行動⑳)。
この研究では、疼痛エソグラムの8項目以上に当てはまることが、跛行症状を呈している指標になりうると結論付けられています。また、実験に用いられた馬の全頭が、クライアントからは問題なく騎乗運動をこなしていると見なされていましたが、獣医師の視診では73%の馬に軽度跛行(跛行グレードは八段階中の二以下)が認められ、駈歩での歩様異常が確認された馬も47%に上っていました。このため、疼痛エソグラムの諸項目にあるような行動様式を観察することで、軽度な跛行や運動器疼痛を早期に発見できて、早期治療に繋げたり、重篤な疾患を予防することが可能になると提唱されています。

他の研究[2]では、馬場馬術のワールドカップ(計9大会)に参加した147頭の競技馬において、演技の動画から疼痛エソグラムにある行動様式を評価して、競技成績との相関が評価されました。その結果、疼痛エソグラムのスコアと、審判による競技点数のあいだに、中程度な負の相関が認められました。ただ、疼痛エソグラムのスコア中央値は3(範囲0~7)とかなり低くなっていました。このうち、発生頻度の高かった行動としては、繰り返し開口する行動(10秒以上)を示した馬が68%に上ったほか(行動⑩)、鼻梁を垂直よりも10度以上巻き込む行動(10秒以上)を示した馬が67%(行動④)、騎乗者を緊張した目つきで見返す行動(5秒以上)を示した馬が30%(行動⑨)、尻尾を激しく振り回す行動を示した馬が29%(行動⑭)などとなっていました。
この研究では、高いレベルの乗馬競技に参加している馬において、高いパフォーマンスを実践した馬ほど、疼痛エソグラムの行動様式を取る割合が低いことが分かりました。このため、騎乗時の馬の行動様式のスコアが、その時点での各馬の競技能力を判定する指標になりうることが示唆されており、スコア増加に繋がる要因としては、筋肉の疲労度、運動器の違和感、精神的な不安定性等が考えられました。一方、この研究では、競技に用いられているハミの種類は多様であったことから、特に行動⑩のように、開口を繰り返す行動については、運動器の疼痛、または、馬具による影響の差異や度合いを精査する必要があると考察されています。
さらに、類似の研究[3]では、英国のグランプリ馬場馬術チャンピオンシップ(計2大会)に参加した計64頭の競技馬において、演技の動画を用いて疼痛エソグラムの行動様式を評価して、競技成績との相関が評価されました。その結果、前述の研究と同様に、疼痛エソグラムのスコアと競技点数のあいだに、中程度な負の相関が認められ、騎乗時の馬の行動によって、競技能力を判定できる可能性が示唆されました。なお、疼痛エソグラムのスコア中央値は4又は6(範囲0~9)と低くなっており、発生頻度の高かった行動としては、耳をふせる(5秒以上)、騎乗者を緊張した目つきで見返す(5秒以上)、尻尾を激しく振り回す、後肢の蹄尖を引きずる、繰り返し舌を出す、尻尾を片方に曲げて保持する、等が含まれました。

そして、同研究者による次の研究[4]では、英国の総合馬術競技会(計3大会)に参加した計841頭の競技馬において、演技の動画から疼痛エソグラムの行動様式を評価して、競技成績との相関が評価されました。その結果、疼痛エソグラムのスコアと、馬場馬術の減点のあいだに、中程度な正の相関が認められ、また、最終的な順位が1~3位の馬では、有意に低い疼痛エソグラムのスコアが認められました。さらに、馬体検査で失格となったり、競技を棄権した馬においても、有意に高い疼痛エソグラムのスコアが認められました。そして、疼痛エソグラムのスコアが8以上の馬では、競技を通しての総合減点が有意に低いことも示されています。なお、疼痛エソグラムのスコア中央値は4(範囲0~12)と低値を示していました。
この研究において、発生頻度の高かった行動としては、鼻梁を垂直よりも10度以上巻き込む行動(10秒以上)を示した馬が59%に上ったほか、騎乗者を緊張した目つきで見返す行動(5秒以上)を示した馬が47%、頭部を繰り返し左右に傾ける行動を示した馬が40%、何度も蹉跌したり両後肢の蹄尖を引きずる行動を示す馬が37%、耳をふせる行動(5秒以上)を示した馬が36%、などとなっていました。また、レベルの異なる三つの大会で、視認される行動様式に有意な差異があることも分かり、例えば、耳をふせる行動を示した馬の割合は、高レベルの競技会では25%に留まったのに対して、低レベルの競技会では57%に達していました。
この研究では、騎乗時の馬の行動によって、演技時のコンディションを評価できる可能性が示唆されており、その要因としては、疼痛エソグラムの点数の低さが、減点の少なさ、上位の順位になる割合、競技を完走する割合(失格や棄権とならない)等と有意に相関するというデータが挙げられています。また、前述の研究において、運動器の疼痛が存在する指標とされた、疼痛エソグラムのスコアが8以上を示す馬は、全体の9.3%に上っていたことから、高いレベルの競技会に参加する馬であっても、騎乗時の行動を精査することによって、軽度の運動器疼痛を抱えている個体を発見して、重篤な疾患を事前に予防できる可能性があると考えられました。

以上のように、馬の騎乗時における疼痛エソグラムのスコアは、跛行や運動器疼痛の存在を示すことに加えて、競技能力やコンディションとも有意に相関しているというデータが示されており、疼痛を起こす病態の早期発見のみならず、競技パフォーマンスを事前予測する指標になる可能性も示唆されています。一方で、疼痛エソグラムにある24個の行動様式のうち、どれが最も有用な指標であるかについては、競技の種類やレベルによって差異がある傾向が認められ、これには、各競技による騎乗方法や扶助の使い方の違いに起因するという考察がなされています。
今後の研究では、疼痛エソグラムの総合スコア(スコア8以上だと疼痛がある)による判定だけではなく、どの行動様式の場合には、どのような疼痛が存在するのか(筋肉痛v.s.関節痛)、そして、どの行動様式がどのレベルまで視認されたときに、それを有意な変化と見なすのか(ランダムな歩様イレギュラーや騎乗者の扶助への反応行動とどう見分けるか)という課題を検討していく必要があると言えそうです。
同研究者の総説[5]によれば、騎乗時の馬の疼痛エソグラムは、獣医師による跛行検査と異なり、クライアント自身が馬の行動を観察するだけで点数化できることから、経時的に自馬の健康チェックをする目的で実践可能であるという利点が指摘されています(騎乗後に動画見返す等)。また、獣医師がプアパフォーマンスの馬を診察したり、跛行検査で診断麻酔の効き目を評価するときにも応用可能であると言えます。さらに、疼痛エソグラムによって、見た目上の跛行に至っていない極めて軽度の運動器疼痛も検知できる可能性があることから、購入前検査における馬のコンディションレポートの一環として応用することも出来ると提唱されています。

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参考文献:
[1] Dyson S, Pollard D. Application of a Ridden Horse Pain Ethogram and Its Relationship with Gait in a Convenience Sample of 60 Riding Horses. Animals (Basel). 2020 Jun 17;10(6):1044.
[2] Dyson S, Pollard D. Application of the Ridden Horse Pain Ethogram to Elite Dressage Horses Competing in World Cup Grand Prix Competitions. Animals (Basel). 2021 Apr 21;11(5):1187.
[3] Dyson S, Pollard D. Application of the Ridden Horse Pain Ethogram to Horses Competing at the Hickstead-Rotterdam Grand Prix Challenge and the British Dressage Grand Prix National Championship 2020 and Comparison with World Cup Grand Prix Competitions. Animals (Basel). 2021 Jun 18;11(6):1820.
[4] Dyson S, Pollard D. Application of the Ridden Horse Pain Ethogram to Horses Competing in British Eventing 90, 100 and Novice One-Day Events and Comparison with Performance. Animals (Basel). 2022 Feb 25;12(5):590.
[5] Dyson S. The Ridden Horse Pain Ethogram. Equine Vet Edu. 2022;34(7):372-380.
参考動画:EVE Video Abstract, No 18, The Ridden Horse Pain Ethogram