馬の切腱術のタイミング
診療 - 2022年11月07日 (月)

蹄葉炎の馬において、いつ切腱術を実施するかは迷い処なのかもしれません。ここでは、馬の切腱術を実施するタイミングについての知見を紹介します。
参考資料:Christa Leste-Lasserre, MA. Well-Timed Tenotomy Can Save Laminitic Horses’ Lives. The Horse, Topics, AAEP Convention 2020, Article, Hoof Care, Hoof Problems, Horse Care, Lameness, Laminitis (Founder), Lower Limb, Vet and Professional: Jan13, 2021.
馬の深屈腱は、前腕部にある深指屈筋に起始しており、管部の掌側面を走行して、遠位支持靭帯(深屈腱の副靭帯)によって管骨後面と連絡を持ちながら、球節腱鞘の内部を通過した後に繋ぎの掌側面を走行して、舟状骨の後面で角度を変えた後、蹄骨(末節骨)の底部に付着しています。深屈腱の機能としては、①到着時には総指伸筋腱と相同して蹄関節を安定化させ、②接地中は支持靭帯のアンカー作用を介して緊張力を蓄積させて、③離地の瞬間には球節屈曲および蹄を反回させる(この時には深指屈筋は作用していない)などが含まれます。
馬の蹄病の一つである蹄葉炎では、慢性蹄葉炎のステージにおける外科的治療法として、深屈腱の切断術(いわゆる切腱術)が実施されることがあります。一般的に、馬の深屈腱は、蹄骨を掌側方向に引っ張るように作用しているため(上記の②および③)、背側蹄葉が変性して剥離してしまうと、蹄骨が掌側変位(回転)してしまう事になります(ローテーション型蹄葉炎)。このため、深屈腱を切ることで、蹄骨を変位させようとする緊張力を取り除く、というのが、蹄葉炎の馬に切腱術を実施する理由になります。

しかし、馬の切腱術では、その実施のタイミングが重要になります。米国のルッドアンドリドル馬病院の蹄病専門医であるラウル・ブラス獣医師は、切腱術が良い効果を及ぼすのは、短期間の“絶好の機会”(Narrow “window of opportunity”)を見逃さなかった場合に限られる、という警鐘を鳴らしています。ブラス獣医師によれば、蹄葉炎を起こしている負荷力を最も早く軽減するのは、深屈腱を切ることに他ならないが、施術の決断が遅れれば、治療失敗への一路を辿ることになると言われています。
蹄葉炎の罹患馬において、切腱術を実施するタイミングを判断するには、静脈造影検査が重要であると言われています。この画像診断法では、蹄の脈管に造影剤を注入した状態でX線撮影を行なうことで、蹄骨の掌側変位によって蹄葉組織への血液供給が妨げられているのを確認することが可能となります(蹄葉炎で蹄骨回転すると、蹄骨底面縁を下から上へと走行している反回動脈が圧潰されて、背側蹄葉への血流が滞るため)。また、変位する以前の蹄骨尖の位置も描出されるため、蹄骨が回転した度合いを正確に評価することも可能となります。

ブラス獣医師によれば、静脈造影検査は、蹄葉炎という台風の来襲を示してくれる「天気予報」の役目を果たしており、台風がやって来る前に対策を打つことが重要になると提唱されています。通常は、蹄骨変位によって蹄葉組織への血流障害が生じると、その6~8週間後に永続的な組織損傷が起こり始めると言われており、その後に切腱術を実施しても、蹄葉組織へのダメージを予防する効果は期待できないことになります。つまり、静脈造影という「天気予報」を見逃すと、台風一過で傘を広げる事にもなってしまいます。
健常な馬の蹄においては、背側の蹄葉組織は、蹄骨と蹄壁を繋ぎとめることで、深屈腱からの緊張力に対抗してバランスを取りながら、蹄壁カプセルの中での蹄骨の位置を保っています。もし、蹄葉炎によってこの組織が虚弱化すると、深屈腱からの緊張力によって、相互嵌合(Interdigitation)と呼ばれる脈管組織同士を繋いでいる構造体が分離してしまって、蹄骨が掌側方向へと回転してしまいます。そして、最終的には、蹄骨尖が蹄底を突き抜けて、予後不良になってしまうのです。

また、切腱術を実施するタイミングは、装蹄療法を実施するタイミングとも合致させる必要があると提唱されています。この際には、地面に対する蹄骨の角度を、健常な状態に近づける装蹄療法が実施され、このような、蹄骨アラインメントの再編(Coffin bone realignment)と切腱術との実施タイミングが、治療を成功させる鍵であると言われています。なぜなら、切腱術が実施された蹄においては、深屈腱が蹄関節を安定化させている機能(上記の①)も損失するため、蹄骨の角度が不正なままだと、蹄関節が不安定になり脱臼したり、蹄骨の変位を悪化させることにも繋がるからです。
ブラス獣医師によれば、切腱術の後にただ待っているのは、川の流れに逆らって泳ぐようなもので、この点を強調し過ぎることは無い、とも述べています。過去40年間の研究に基づくと、蹄葉炎治療の成功率は、切腱術と装蹄療法を正しいタイミングで実施することに掛かっており、術後に経過を静観するだけでは、絶好の機会を逃してしまうと言われています。そして、切腱術のタイミングを間違えず、その後のリハビリ療法を正確に実施すれば、その馬は、生存を果たすだけでなく、襲歩をしたり、中程度レベルの競技に復帰することも可能であると述べられています。

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参考資料:
Deep Digital Flexor Tenotomy As a Treatment for Chronic Laminitis. The Horse, Topics, Article, Laminitis (Founder), Ligament & Tendon Injuries, Veterinary Practice: Mar1, 1999.
参考動画:2020 AAEP Virtual Convention, S1402: Dec1, 2020(ここをクリックで動画元へ)
