馬の麻酔後肺水腫の危険因子
話題 - 2023年05月13日 (土)

一般的に、馬という動物は、全身麻酔による合併症を起こし易く、獣医師が取り扱う動物種のなかでも、最も麻酔を掛けるのが難しい動物の一つだと言われています。ここでは、そのような合併症の中で、発生率こそ低いものの、致死率が高いと言われている、麻酔後の肺水腫(Post-anesthetic pulmonary edema)に関する知見を紹介します。
参考文献:
Shnaiderman-Torban A, Steinman A, Ahmad WA, Kushnir Y, Sutton GA, Epstein A, Kelmer G. Preoperative and intraoperative risk factors for post-anaesthetic pulmonary oedema in horses. Equine Vet Edu. 2023;35:e52-60.
この研究では、2012~2017年にかけて、イスラエルのエルサレム大学の獣医病院において、全身麻酔からの覚醒時に肺水腫の徴候(血液の混じった泡状の鼻汁排出や呼吸困難などの症状)を示した17頭の罹患馬、および、53頭の対照馬における医療記録の回顧的調査と、オッズ比(OR)の算出による危険因子の解析が行なわれました。
結果としては、多因子の回帰分析において、搬入時に胃逆流液を起こしていた症例では、麻酔後に肺水腫を発症する確率が八倍近くも高い(OR=7.9)ことが分かりました。一般的に、胃逆流液の症状が認められるような小腸閉塞では、特に絞扼性疾患において、重篤な内毒素血症を併発していて、全身性の炎症反応症候群(SIRS)に続いて、急性呼吸窮迫症候群(ARDS)を発症することが知られており、今回の研究における肺水腫も、小腸閉塞→SIRS→ARDS→肺水腫という病態進行を呈した結果であるという仮説が成り立ちます。一方、胃逆流液の排出による胃除圧をするためには、経鼻チューブの挿入を要することから、この際に、胃内容物を誤嚥することで、気管支炎や下部気道炎などが誘発され、麻酔後の肺水腫の発症素因になった可能性も否定できないと考えられます。

この研究では、多因子の回帰分析において、麻酔中に新鮮凍結血漿が投与されていた症例では、麻酔後に肺水腫を発症する確率が十倍近くも高い(OR=9.6)ことが示されました。凍結血漿が投与された理由としては、重度の消化器疾患に続発する内毒素血症および播種性血管内凝固の治療が挙げられており、これらの病態が肺水腫の発症に寄与して可能性があると考えられます(つまり、血漿そのものが肺水腫の原因であった訳ではない)。一方、ヒトの医療では、衰弱状態の患者に対する血漿輸血では、呼吸器の合併症が起こりうることが知られており、輸血関連急性肺障害(TRALI: Transfusion-related acute lung injury)と呼ばれています。これは、ドナー血漿に含まれる抗体が、レシピアントの好中球を活性化させて、重度の肺胞内皮細胞障害を引き起こす疾患であり、馬においても、TRALIに類似した病態が発生した可能性は否定できないと考察されています。
この研究では、単因子の回帰分析において、麻酔中にヒドロキシエチルスターチ(HES:代用血漿剤)が投与されていた場合には、肺水腫を発症する確率が四倍近くも高い(OR=3.9)という興味深いデータが示されています。一般的には、HES投与により膠質浸透圧が上昇すると(グリコカリックス層が維持されていれば)、むしろ、肺水腫の予防に繋がると推測されています。しかし、急性失血を伴った症例では、循環体液量および血圧の低下が起こり、肺組織の循環不全から、毛細血管内皮の透過性亢進を引き起こして、肺水腫を続発する危険性があると考察されています。つまり、HES投与を要するような深刻な浸透圧低下が生じていた症例では、HESの術中投与でも循環不全を補正できず、肺水腫の発症に至ったものと推測されています。

この研究では、単因子の回帰分析において、馬回虫の寄生による小腸閉塞を起こしていた症例では、麻酔後に肺水腫を発症する確率が十倍以上も高い(OR=13.0)ことが分かりました。馬回虫の寄生を起こした個体では、幼虫の迷入によって、不症候性の肺組織損傷を起こし得ることから、そのような肺の病態が、麻酔後の肺水腫の発症素因になった可能性があると考察されています。ただ、馬回虫の寄生は、通常は若齢馬に見られるのに対して、今回の研究における肺水腫の罹患馬は、年齢の中央値が10歳であることから(対照群と有意差は無し)、寄生虫と肺水腫とのあいだに因果関係が存在していたかについては、明瞭には結論付けられていませんでした。
この研究では、全身麻酔中の馬の体位(背臥位 v.s. 横臥位)は、肺水腫の有意な危険因子にはなっていませんでした。一般的に、馬の全身麻酔では、背臥位のほうが、腹腔臓器による横隔膜圧迫が生じやすく、肺組織の損傷を起こし易くなることが知られています。しかし、今回の研究では、手術全体の94%が背臥位で実施されていたため、体位そのものが肺水腫のリスクとして示されるには、サンプル数が不足していた可能性があります。

この研究では、全身麻酔中の血圧、酸塩基平衡値、血液ガス測定値などは、肺水腫の発症とは相関していませんでした。通常は、術中の低血圧や低酸素分圧、VRミスマッチ、肺脈管シャントなどが、肺組織損傷と相関することが知られていますが、今回の研究では、介助呼吸や昇圧剤など、積極的な呼吸循環系機能のサポートが実施されたため、これらの病態に起因する肺水腫は予防されたと考察されています。
この研究では、調査対象となった六年間のうち、麻酔後肺水腫の発生件数は17頭で、年間発生件数は3頭以下に留まっており、馬の全身麻酔においては、比較的に稀な合併症であると言えそうです(この病院での、年間の総麻酔件数は記述されておらず、発生率は不明)。しかし、麻酔後肺水腫を起こした馬の死亡率は29%(5/17頭)に及んでいたことから、上記のような危険因子を伴う症例に対しては、適宜な予防対策を講じることが重要であると考えられました。
Photo courtesy of Equine Vet Edu. 2023;35:e52-60.
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