fc2ブログ
RSS

馬の疝痛:持久戦がもたらす悲劇

20230514_Blog_HC111_ColicReferralTrgWtGm_Pict1.jpg

馬の疝痛に対する開腹術では、早期に手術を決断することが、治療成功率や生存率を高めるのに重要であることが知られています。馬の疝痛治療の第一人者である、フロリダ大学のデイビッド・フリーマン博士は、2022年の全米馬臨床医協会(AAEP)の学会において、疝痛馬に対する「持久戦がもたらす悲劇」(Tragedy of the Waiting Game)について警鐘を鳴らしています。

参考資料:
Christa Leste-Lassiter, MA. Colic Referral: The Tragedy of the Waiting Game. The Horse, Topics, AAEP Convention 2022, Colic, Disease and Conditions, Vet and Professional: Feb 18th, 2023.



内科治療(持久戦)で起こりうる問題点

フリーマン博士による近年の研究では、疝痛馬の治療において、虚血で損傷された腸管を、速やかに外科的処置することの重要性が再確認されたと述べています。そして、そのような不可逆的な変化が生じた消化管は、疝痛馬に対する内科的治療が効くかどうかを、ジックリと見守るという方針(”Wait and see” approach)が取られた時に多発することが分かっています。

この研究では、重度の疝痛が認められてから八〜十時間が経って開腹術を行なわれた場合には、手術がより複雑になり、合併症のリスクや治療費が高くなり、短期的および長期的な予後が悪化したと報告されています。この傾向は、絞扼性の腸管病態(開腹術された症例の六割を占める)では特に顕著であり、たとえ内科的治療が疝痛症状を一時的に和らげたとしても、病気そのものは時間の経過と共にドンドン悪化していく、という警鐘が鳴らされています。

20230514_Blog_HC111_ColicReferralTrgWtGm_Pict2.jpg

このような事象は、絞扼性病変において、腸管への血流が致死的に阻害された場合に顕著であり、特に、20歳以上の高齢馬では、小腸の絞扼性疾患が疝痛の六割を占めるとも言われています。また、非絞扼性の病変においても、同様な経過を示す病態は多いことが知られており、内科治療では、一時的に症状が緩和したという印象を与えるだけで、病気そのものは、時間の経過と共に悪化していってしまう、と述べられています。



迅速な開腹術の必要性

フリーマン博士によれば、絞扼性疾患の疑いを持った往診獣医師は、診断や手間の掛かる治療(補液など)に時間を費やすことなく、速やかに、その馬を二次診療施設に搬送するべきであると提唱しており、往診時に実施した診断法も、二次診療でもう一度繰り返さざるを得なくなり、治療費の高騰に繋がってしまう点も指摘されています。特に、有茎性脂肪腫から小腸絞扼を起こしやすい高齢馬では、二次診療施設に素早く搬入することで、開腹術の合併症を減らし、生存率を向上させることで、治療費を抑える結果に繋がると述べられています。

そう考えると、疝痛馬の馬主を正しい方向性に導くために、往診獣医師の役目が重要であると提唱されています。そのためには、開腹術が必要なケースであることを迅速に判断し、開腹術の費用や予後について、出来る限り正確な情報を提供することが必要になってきます。言うまでもなく、疝痛馬に開腹術を適応するか否かの最終判断は、馬主に委ねられることになります。しかし、開腹術することを断念した場合には、その後の治療方針に関して、往診獣医師として難しい判断を迫られることが多いと言えます。

その一方で、開腹術が不要な軽度な疝痛まで二次診療施設に送ってしまうと、本当に手術が必要な他の馬たちの診療に悪影響が出ることもあり得ます。往診獣医師としては、原因疾患の確定診断は難しくても、外科的治療の必要性に関しては、正しい診断をタイムリーに下すことが求められるのかもしれません。

20230514_Blog_HC111_ColicReferralTrgWtGm_Pict3.jpg



開腹術を断念する要因

フリーマン博士の経験則によると、一般的に言って、馬主が開腹術を断念する要因としては、下記の三つが挙げられます。
要因①:開腹術をすると馬の競技能力は元通りには戻らないと考えるため。
要因②:疝痛を起こしたのが高齢馬の場合には、加齢による体力低下等で、麻酔や手術に耐えられないと考えるため。
要因③:その疝痛馬には強い愛情を持つものの、経済的な状況を考えると、高額な開腹術を選択するのは難しいと考えるため。

このうち、①と②については、必ずしも正しくないと述べられています。疝痛の手術後に、ケンタッキーダービーを勝つ馬もいますし、高齢でも開腹術後に良好な予後を示す馬も多いからです。勿論、症例によっては、術後の合併症による長期休養から、筋力低下を招くこともありますが、全てのケースでそうなる訳ではありません。また、高齢馬に多い小腸絞扼では、開腹術をしても助からない個体も出てきますが、だからと言って、高齢であること自体が、麻酔や手術に耐えられなくなる理由になるとは言い切れません。

一方で、③については、馬の開腹術は決して安価な治療ではないことを鑑みれば、費用が手術断念の主因となることは充分に理解できます。馬という動物が、経済動物という側面を持つことを考えると、掛けられる費用と、その効果(生存率)とのバランスを取ることが大切であると言えます。その意味では、各疝痛の重篤度に基づいて、出来るかぎり正確な費用を見積もることも、往診獣医師の重要な役目であると言えます。

20230514_Blog_HC111_ColicReferralTrgWtGm_Pict4.jpg



開腹術を断念するときの留意点

深刻な疝痛を起こした馬に対して、経済的な理由で開腹術を断念するときには、幾つかの留意する点があります。

一つ目の留意点は、後から方針転換することの難しさです。フリーマン博士の知見では、最初の段階で「開腹術は選択肢ではない」という判断を下したケースでも、当該馬への愛情が深まったり、他所から費用を捻出できた結果、やはり開腹術に踏み切りたいと申し出ることもあると述べられています。しかし、馬の消化器疾患の中には、急激に病態悪化するものもあり、方針転換された時点では、既に病気が進行していて、開腹術をしても予後不良となってしまう、という状況も起こり得ます。

このような事象を、フリーマン博士は「悲劇(Tragedy)」と表現しています。そして、それを防ぐためには、最初の段階で、充分な情報共有を伴うコミュニケーションが重要であると述べられており、疝痛の重篤さや、開腹術に掛かる費用の高さに加えて、後から心変わりしても手遅れになる可能性があることを、詳細に馬主に説明して相互理解することが大切であると考えられます。

20230514_Blog_HC111_ColicReferralTrgWtGm_Pict5.jpg

二つ目の留意点は、たとえ開腹術をしなくても、ある程度の額の治療費が掛かってしまうことが挙げられます。例えば、経済的な理由で開腹術できないと判断した場合でも、すぐに馬を永眠させる決断を下すことができず、内科的な治療に対する反応性を見てみて、安楽殺の是非やタイミングを検討することになるケースも多々あります。その結果、数日から一週間にわたる内科療法を行なうことになり、それに対して相当額の治療費が掛かる可能性もあります。

疝痛の開腹術のメリットとしては、病変箇所を整復できることに加えて、病変の範囲や重篤度を正確に評価できることが挙げられます。小腸絞扼の例で言えば、開腹術によって、切除不能な広範囲の腸管が壊死していることが判明すれば、術中に安楽殺することで、長期間の内科治療による出費を回避できます。また、壊死した箇所の腸管を切除・吻合できれば、術後の短期間で飲水や摂食が可能となり、補液などの内科治療は不要となるため、結果的に、外科治療のほうが安価で済むという可能性もあります。

20230514_Blog_HC111_ColicReferralTrgWtGm_Pict6.jpg



馬の疝痛治療におけるトリアージ

海外の馬の大病院では、疝痛や骨折、難産などの救急医療を行なう一画を、トリアージエリア(識別医療区画)と呼ぶこともあります。この「トリアージ」という用語には、救急的に実施する医療行為という意味のほかに、病気の緊急性や重篤度に応じて、治療の有無や順番を決めるという意味もあります。時には、複数の症例が、ほぼ同じ時間帯に搬入されるため、此処の病態を適切に評価して、どの馬を優先的に治療するかの判断を適切に下すことが必要だからです。

故手塚治虫さんの漫画ブラックジャックでも、「オペの順番」という話があります。病気の深刻さに応じて、猫→子供→代議士の順序で治療した、という架空のストーリーですが、まさしくこれは、トリアージを正しく実施した行為なのだと思います。

20230514_Blog_HC111_ColicReferralTrgWtGm_Pict7.jpg

馬の疝痛においても、開腹術をするか否かの「判断」を、迅速かつ正しく下すことが重要であると言えます。その意味では、疝痛の治療に際して、安易に持久戦を選択するのではなく、開腹術が必要な症例、および、開腹術をしてもしなくても助からない症例を、遅延なく見極めることが、とても重要であると考えられます。そうすることで、馬主への経済的負担のみならず、馬の苦しみを最小限に抑えて、馬たちとホースマンの健康と福祉を向上させていけるのかもしれません。

Photo courtesy of The Horse, Topics, AAEP Convention 2022, Colic, Disease and Conditions, Vet and Professional: Feb 18th, 2023

関連記事:
・馬の腸捻転における乳酸値の有用性
・疝痛で獣医を呼ぶときの判断基準
・ホースマンが疝痛を判断する指標
・馬の疝痛での電話トリアージ
・馬の外科的疝痛におけるPCV値と心拍数
・疝痛の開腹術での予後判定指標:スペイン
・疝痛馬での開腹術の適応における“決定木”
・馬の疝痛症状での重要性の違い
・疝痛馬の痛がり方による手術適応の判断
・馬の疝痛スコアによる予後判定
・馬の開腹術での術前予測は当たる?

参考動画:【公式】ブラック・ジャック 第1話『オペの順番』
関連記事
このエントリーのタグ: 疝痛 治療 検査 手術 薬物療法

プロフィール

Rowdy Pony

Author:Rowdy Pony
名前: 石原章和
性別: 男性
年齢: アラフィフ
住所: 北関東
職業: 獣医師・獣医学博士
叩けよ、さらば開かれん!

質問、御意見、記事の要望等は下記まで
E-mail: rowdyponies@gmail.com

最新記事

ブログメニュー

サイト内タグ一覧

推薦図書

FC2カウンター

関連サイト

リンク

カレンダー

08 | 2023/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

馬獣医療機器

月別アーカイブ

お断わり

20130414_Blog_Message_Pict1.jpg
このサイトに掲載されているイラスト、画像、文章は、すべて管理主自身が作成したもの、もしくは、著作権フリーの素材リンクから転載したものです。

カテゴリ

ホースケア用品

全記事表示リンク

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
57位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
自然科学
9位
アクセスランキングを見る>>

FC2ブログランキング

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

検索フォーム

関連サイト

QRコード

QR