サラブレッドは進化しているのか?
馬の飼養管理 - 2015年08月14日 (金)

競走馬としてのサラブレッドは本当に進化しているのでしょうか?
平地レース等に使役されるサラブレッドは、野生動物では無いため、当然ながら野生環境での淘汰を受けて進化していく事はありません。人間が優れた種牡馬を選別して、その馬の血筋を子孫に受け継がせることで、能力の高い馬を残しているのです。問題なのは、「優れた種牡馬」というものを判断する基準が、勝利数、勝率、競走タイム、獲得賞金などに偏っている事にあります。これらは、競馬という人工産物の競技における指標ですので、これに基づいて淘汰をしていけば、レースを高確率で勝てる馬や、整備された競走コースで速度が出せる馬は作れるかもしれませんが、それが必ずしも、生物学的に言う進化にはつながっていない、という可能性は否定できません。
ひとつの例として、スピードを追い求める馬の繁殖を続けていった結果として、近代のサラブレッドは骨折などの怪我を起こしやすくなっている、という指摘があります。競馬においては、四肢の先端の骨における骨密度が低く、骨が軽い馬のほうが、当然ながら速度も出やすいため、競走成績も良く、種牡馬として選別される場合が多くなります。結果として、その子孫たちはみんな骨の密度が低く、骨折を発症しやすくなってしまっているのです。つまり、本当の自然界であれば、骨密度の低い馬は骨折した時点で淘汰されて、その子孫が残ることが無いのに対して、競走馬としてのサラブレッドでは、その馬が骨折事故に遭遇する前に種牡馬として見出されてしまい、本来は残るべきではない血が受け継がれてしまっている、と考えられているのです。
また、競走馬が3~4歳という、生物学的には「若齢期」にあたる年齢でレースに使役されるため、そこで勝って種牡馬になる馬は、みんな早熟の個体であるという見方もなりたちます。つまり、成長が遅い馬の血は残されないことになる訳ですが、進化のプロセスを考える時に、これは意外に大きな問題になるかもしれません。
近年、ダーウィンの進化論だけでは説明できない、生物の急激な進化過程を説明する要素として、ネオテニー(幼形成熟)が関与しているという学説が確立されつつあります。これは、チンパンジーの子供と人類が類似していることに着目して、チンパンジーが幼形成熟したのが人間であるという概念が生み出されたものです。ネオテニーでは、生き物として未熟である期間が長くなるため、物事を学習できる期間も長くなり、その恩恵として、人類が進化や発展を成し遂げたという訳です。サラブレッドにおける優れた種牡馬の選別は、そのようなネオテニーの個体を排除していく方向に進まざるを得ませんので、長い期間を経たときには、馬という動物が生物学的に退化していく、という結果につながってしまうのかもしれません。
ここで、人間の社会を振り返ってみると、ネオテニーな人は、大人の年齢になっても子供っぽさを維持している事から、成人社会の規律には馴染めなくてトラブルを起こすような場合も出てくるのかもしれません。しかし、その一方で、一つのことに夢中に取り組んで素晴らしい業績を上げたり、飛び抜けた創造力を発揮して、新たな発見や発展をもたらす可能性も大いにある筈です。逆に言えば、成熟の早い人は一般的に、組織のなかでは波風を立てない無難な存在であるかもしれませんが、我慢することを美徳と考えてしまい、無駄の多い従来のやり方から脱却できなかったり、周囲の空気を読むことに執着して、その場の流れで自分の考えを曲げてしまうような、存在感のない人になってしまうかもしれません。エジソンやアインシュタインも、若いときには知能が低いと思われていたそうですが、彼らの持つ子供のような創造性と集中力が、人類の発展に寄与する大きな発明や学問発展につながった事は、ネオテニーの必要性を如実に表している事象ではないでしょうか。
人間でも馬でも、生物学的に成熟が遅いということが、長期的な進化と進歩のためには、大事な要素になっているとも考えられます。早熟な個体だけに価値を見出して、それを未来に受け継いでしまう事で、人間や馬が退化していってしまう、という可能性にも目を向ける時代が来ているのかもしれません。
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