馬の文献:舟状骨症候群(Boyce et al. 2010)
文献 - 2015年11月29日 (日)
「馬の蹄関節から舟嚢へのトリアムシノロン拡散の評価」
Boyce M, Malone ED, Anderson LB, Park S, Godden SM, Jenner F, Trumble TN. Evaluation of diffusion of triamcinolone acetonide from the distal interphalangeal joint into the navicular bursa in horses. Am J Vet Res. 2010; 71(2): 169-175.
この研究論文では、馬の舟状骨症候群(Navicular syndrome)に対する有効な内科的療法を検討するため、十一頭の健常な実験馬を用いて、一方の前肢の蹄関節(Coffin joint: Distal inter-phalangeal joint)にはトリアムシノロン(Triamcinolone acetonide)とヒアルロン酸(Hyaluronan)を、対側前肢(Contralateral forelimb)の蹄関節にはトリアムシノロンと生食を注射して、六時間後における両前肢および片後肢(=対照肢)の舟嚢の滑液採取(Synovial fluid collection)、およびトリアムシノロンの濃度測定が行われました。
結果としては、トリアムシノロンとヒアルロン酸が蹄関節注射された前肢、および、トリアムシノロンと生食が蹄関節注射された前肢における、舟嚢滑液中のトリアムシノロン濃度には有意差がなく、これらはいずれも、対照肢における舟嚢滑液中のトリアムシノロン濃度よりも、有意に高かったことが示されました。このため、蹄関節内に注射されたトリアムシノロンは、蹄関節から舟嚢内へと良好に拡散(Diffusion)することが示され、舟嚢内における軟骨および腱組織の病巣(Cartilage/Tendon-tissue lesions)に対する抗炎症剤(Anti-inflammatory drugs)の投与経路(Administration route)として、蹄関節注射が有効であることが示唆されました。
一般的に、舟嚢内に直接的に治療薬を注射するためには、レントゲン誘導(Radiographic guidance)を必要とし、深屈腱(Deep digital flexor tendon)を貫通させながら針穿刺することになるため、何度も薬剤投与を行うには不適当な手法であると言えます。このため、蹄関節注射を介して、舟嚢内にコルチコステロイドを到達させる治療指針は、手技的にも簡易で、深屈腱を傷付けないため、非常に有用な投与経路であると考えられます。また、この場合には、蹄関節の変性関節疾患(Degenerative joint disease)や側副靭帯損傷(Collateral ligament injury)などの病変を、同時に治療できるという利点もあります。
この研究での剖検(Necropsy)では、蹄関節と舟嚢のあいだの物理的な連絡(Physical communication)は認められておらず、舟嚢内へのトリアムシノロン移行には、滑膜を通しての薬剤拡散が主要経路であったことが示唆されています。一般的に、関節内の内張り(Synovial joint lining)は、連続性の細胞層(Continuous cell layer)ではなく、他の膜組織のような密着結合(Tight junction)を有していないため、一マイクロンの滑膜裏層細胞の隙間(Gaps between synovial lining cells)を介して、サイズ選択性の分子のふるい分け(Size-selective molecular sieving)がなされる、という知見が示されています(Scott et al. Arthritis Rheum. 2000;43:1175)。また、蹄関節から舟嚢に向かって、直接的なリンパ系排液路(Direct lymphatic drainage)が存在している可能性も指摘されています。
この研究では、トリアムシノロンにヒアルロン酸を混ぜても、蹄関節から舟嚢内への薬剤拡散は、有意には低下しないことが示されました。しかし、他の文献では、滑膜の透過性(Synovial membrane permeability)は、ヒアルロン酸の分子鎖の長さや濃度(Chain length or concentration)に影響されることが知られており、ヒアルロン酸の分子量(Molecular weight)が減少することで、滑膜を通しての液体排出(Fluid drain)が加速したという報告もあります(Sabaratnam et al. J Physiol. 2005;567:569)。このため、トリアムシノロンの蹄関節注射に際して、治療効果の高いとされている高分子量ヒアルロン酸(High molecular weight hyaluronan)が併用された場合には、滑膜透過性が抑えられて、蹄関節から舟嚢内への薬剤拡散が減退する可能性がある、という仮説が成り立つかもしれません。
この研究は、健常馬を用いた実験であるため、実際の舟状骨症候群の罹患馬における、蹄関節から舟嚢への薬剤拡散を再検討したり、複数回のコルチコステロイド投与による、長期的な副作用(Long-term adverse effect)を評価することが望ましい、という考察もなされています。一般的に、舟状骨症候群の罹患馬では、炎症反応によって滑膜透過性が上昇したり(Hardy et al. AJVR. 1998;59:1307)、ヒアルロン酸の分子鎖の長さや濃度が減少することで(Sabaratnam et al. Arthritis Rheum. 2006;54:1673)、薬剤拡散が亢進している場合も考えられます。一方で、慢性炎症によって滑膜肥厚(Synovial hypertrophy)や関節包肥厚(Joint capsule thickening)が生じることで、薬剤拡散が減退する可能性もあると考察されています。
この研究の問題点としては、対照郡であるハズの後肢の舟嚢からも、可検出濃度(Detectable concentration)のトリアムシノロンが抽出されたことが挙げられ、つまり、蹄関節注射が実施された両前肢の舟嚢から全身循環(Systemic circulation)への薬剤移行が生じたと推測されます。もしそうならば、左右の前肢のあいだでも薬剤が行き来している事になり、両前肢の治療郡のデータを比較することは適当ではなく、ヒアルロン酸を併用することの影響を評価することは難しいと言えるかもしれません。この研究の考察では、前肢の舟嚢におけるトリアムシノロン濃度のほうが、後肢の舟嚢よりも顕著に高かったため、全身循環による薬剤拡散は“最小限の役目”(Minimal role)しか果たしていなかったと述べられています。しかし、この研究においては、投与後の血液中や蹄関節内のトリアムシノロン濃度は測定されておらず、局所拡散(Local diffusion)と全身拡散(Systemic diffusion)の相対的な影響度(Relative effectiveness)を完全には比較できないことを考慮すると、この論理付けは不十分であるのではないでしょうか。
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この研究論文では、馬の舟状骨症候群(Navicular syndrome)に対する有効な内科的療法を検討するため、十一頭の健常な実験馬を用いて、一方の前肢の蹄関節(Coffin joint: Distal inter-phalangeal joint)にはトリアムシノロン(Triamcinolone acetonide)とヒアルロン酸(Hyaluronan)を、対側前肢(Contralateral forelimb)の蹄関節にはトリアムシノロンと生食を注射して、六時間後における両前肢および片後肢(=対照肢)の舟嚢の滑液採取(Synovial fluid collection)、およびトリアムシノロンの濃度測定が行われました。
結果としては、トリアムシノロンとヒアルロン酸が蹄関節注射された前肢、および、トリアムシノロンと生食が蹄関節注射された前肢における、舟嚢滑液中のトリアムシノロン濃度には有意差がなく、これらはいずれも、対照肢における舟嚢滑液中のトリアムシノロン濃度よりも、有意に高かったことが示されました。このため、蹄関節内に注射されたトリアムシノロンは、蹄関節から舟嚢内へと良好に拡散(Diffusion)することが示され、舟嚢内における軟骨および腱組織の病巣(Cartilage/Tendon-tissue lesions)に対する抗炎症剤(Anti-inflammatory drugs)の投与経路(Administration route)として、蹄関節注射が有効であることが示唆されました。
一般的に、舟嚢内に直接的に治療薬を注射するためには、レントゲン誘導(Radiographic guidance)を必要とし、深屈腱(Deep digital flexor tendon)を貫通させながら針穿刺することになるため、何度も薬剤投与を行うには不適当な手法であると言えます。このため、蹄関節注射を介して、舟嚢内にコルチコステロイドを到達させる治療指針は、手技的にも簡易で、深屈腱を傷付けないため、非常に有用な投与経路であると考えられます。また、この場合には、蹄関節の変性関節疾患(Degenerative joint disease)や側副靭帯損傷(Collateral ligament injury)などの病変を、同時に治療できるという利点もあります。
この研究での剖検(Necropsy)では、蹄関節と舟嚢のあいだの物理的な連絡(Physical communication)は認められておらず、舟嚢内へのトリアムシノロン移行には、滑膜を通しての薬剤拡散が主要経路であったことが示唆されています。一般的に、関節内の内張り(Synovial joint lining)は、連続性の細胞層(Continuous cell layer)ではなく、他の膜組織のような密着結合(Tight junction)を有していないため、一マイクロンの滑膜裏層細胞の隙間(Gaps between synovial lining cells)を介して、サイズ選択性の分子のふるい分け(Size-selective molecular sieving)がなされる、という知見が示されています(Scott et al. Arthritis Rheum. 2000;43:1175)。また、蹄関節から舟嚢に向かって、直接的なリンパ系排液路(Direct lymphatic drainage)が存在している可能性も指摘されています。
この研究では、トリアムシノロンにヒアルロン酸を混ぜても、蹄関節から舟嚢内への薬剤拡散は、有意には低下しないことが示されました。しかし、他の文献では、滑膜の透過性(Synovial membrane permeability)は、ヒアルロン酸の分子鎖の長さや濃度(Chain length or concentration)に影響されることが知られており、ヒアルロン酸の分子量(Molecular weight)が減少することで、滑膜を通しての液体排出(Fluid drain)が加速したという報告もあります(Sabaratnam et al. J Physiol. 2005;567:569)。このため、トリアムシノロンの蹄関節注射に際して、治療効果の高いとされている高分子量ヒアルロン酸(High molecular weight hyaluronan)が併用された場合には、滑膜透過性が抑えられて、蹄関節から舟嚢内への薬剤拡散が減退する可能性がある、という仮説が成り立つかもしれません。
この研究は、健常馬を用いた実験であるため、実際の舟状骨症候群の罹患馬における、蹄関節から舟嚢への薬剤拡散を再検討したり、複数回のコルチコステロイド投与による、長期的な副作用(Long-term adverse effect)を評価することが望ましい、という考察もなされています。一般的に、舟状骨症候群の罹患馬では、炎症反応によって滑膜透過性が上昇したり(Hardy et al. AJVR. 1998;59:1307)、ヒアルロン酸の分子鎖の長さや濃度が減少することで(Sabaratnam et al. Arthritis Rheum. 2006;54:1673)、薬剤拡散が亢進している場合も考えられます。一方で、慢性炎症によって滑膜肥厚(Synovial hypertrophy)や関節包肥厚(Joint capsule thickening)が生じることで、薬剤拡散が減退する可能性もあると考察されています。
この研究の問題点としては、対照郡であるハズの後肢の舟嚢からも、可検出濃度(Detectable concentration)のトリアムシノロンが抽出されたことが挙げられ、つまり、蹄関節注射が実施された両前肢の舟嚢から全身循環(Systemic circulation)への薬剤移行が生じたと推測されます。もしそうならば、左右の前肢のあいだでも薬剤が行き来している事になり、両前肢の治療郡のデータを比較することは適当ではなく、ヒアルロン酸を併用することの影響を評価することは難しいと言えるかもしれません。この研究の考察では、前肢の舟嚢におけるトリアムシノロン濃度のほうが、後肢の舟嚢よりも顕著に高かったため、全身循環による薬剤拡散は“最小限の役目”(Minimal role)しか果たしていなかったと述べられています。しかし、この研究においては、投与後の血液中や蹄関節内のトリアムシノロン濃度は測定されておらず、局所拡散(Local diffusion)と全身拡散(Systemic diffusion)の相対的な影響度(Relative effectiveness)を完全には比較できないことを考慮すると、この論理付けは不十分であるのではないでしょうか。
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