馬の文献:基節骨骨折(Tetens et al. 1997)
文献 - 2016年03月14日 (月)

「基節骨の正軸性不完全骨折を呈したスタンダードブレッドにおける治療前後の競走能力の比較:1986~1992年の49症例」
Tetens J, Ross MW, Lloyd JW. Comparison of racing performance before and after treatment of incomplete, midsagittal fractures of the proximal phalanx in standardbreds: 49 cases (1986-1992). J Am Vet Med Assoc. 1997; 210(1): 82-86.
この症例論文では、スタンダードブレッドの基節骨(Proximal phalanx: First phalanx: Pastern bone)における正軸性の不完全骨折(Incomplete midsagittal fracture)に対する外科的療法の治療効果を評価するため、1986~1992年にかけて基節骨の正軸性不完全骨折を呈した49頭のスタンダードブレッド競走馬における、骨折前と治療後の競走能力の比較(Comparison of racing performance)が行われました。
この研究では、競走能力という曖昧な概念を数量化(Quantification)するため、着順ポイント(一着なら5ポイント、二着なら4ポイントというふうに減っていき、五着以下なら1ポイント)と、賞金ポイント($15000以上なら1.0ポイント、$10000~$14999なら0.8ポイントというふうに減っていき、$4999以下なら0.4ポイント)が算出され、その積(着順ポイント×賞金ポイント)によって競走能力指数(Performance index)を計算し、この値を骨折前と治療後で比較することで、基節骨骨折が競走能力におよぼす影響が評価されました。
結果としては、基節骨の正軸性不完全骨折に対して、螺子固定術(Lag screw fixation)を介しての外科的療法が応用された馬郡では、骨折前には1.8であった競走能力指数が、治療後には1.2まで減少したのに対して、馬房休養(Stall rest)と圧迫バンテージ装着による保存性療法(Conservative treatment)が応用された馬郡では、骨折前には1.2であった競走能力指数が、治療後には1.0まで減少したことが示されました。つまり、治療後の競走能力指数そのものを見た場合には、保存性療法が応用された馬郡に比べて、外科的療法が応用された馬郡のほうが高かったものの、骨折前から治療後への数値の減少を比較してみると、外科的療法が応用された馬郡(1.8-1.2=0.6ポイントの減少)に比べて、保存性療法が応用された馬郡(1.2-1.0=0.2ポイントの減少)のほうが、競走能力指数の減少度合いが低く抑えられた、というデータが示されました。
この研究においては、競走能力を数量的に評価することの難しさや、治療法の選択(外科治療 v.s.保存性治療)および治療後の出走レースの選択において常に偏向(Bias)が生じるため、データの解釈(Interpretation)が困難になりがちであることが如実に示されました。例えば、外科治療後の競走能力指数(1.2)は、保存性治療後の競走能力指数(1.0)よりもやや高かったものの、治療後のレース復帰率は88%(43/49頭)であり、また、骨折線の長さは保存性治療郡では平均5mm、外科治療郡では平均37mmというように顕著な差が見られ、さらに、保存性治療後における競走復帰までの休養期間(平均228日)は、外科治療後における競走復帰までの休養期間(平均259日)よりも一ヶ月程度も短い傾向がありました。このため、保存性療法と比較した場合の外科的療法の治療効果を、相対的に評価(保存性治療郡の馬に外科治療を行っていれば競走能力が上がったのか?、etc)することは非常に難しいと言えます。
一方、外科治療および保存性治療いずれの治療方針においても、骨折前よりも治療後のほうが顕著に競走能力指数が減少しており、この減少度合いは外科治療後のほうが保存性治療後よりも大きかったものの、このデータのみから基節骨骨折に対する外科的療法の治療効果を過少評価(Underestimate)するのは適当ではない、という警鐘が鳴らされています。その理由としては、競走能力指数が下がった背景には、純粋な運動能力の減退以外にも、(1)もともと成績の良い馬ほど高価な外科治療が選択される場合が多いため、外科治療郡における骨折前の競走能力指数が高くなりがちで、結果的に骨折前から治療後への競走能力指数の減少度合いが大きくなり易かったこと、(2)いずれの治療法においても、調教師や馬主の意図によって、骨折後に出走するレースのレベルが低くされがちであったため、骨折後の競走能力指数は、骨折部位の治癒度合いを正確には反映していない場合があると予測されること、(3)もともと成績がそれほど良くない馬は安価な保存性治療が選択される場合が多く、また、種牡馬として引退できる可能性が低いので、治療後にはより長期間にわたって出走を繰り返す傾向にあり、結果的に保存性治療郡における治療後の競走能力指数が、骨折前と比べて小幅な減少に抑えられたこと、などの要因が挙げられています。このうち、(1)と(3)の根拠として、レース当たりの獲得賞金が算出されており、外科治療郡の馬における骨折前($2000/race)および治療後($700/race)の平均賞金は、保存性治療郡の馬における骨折前($800/race)および治療後($400/race)の平均賞金よりも、顕著に高い傾向(もともとのレース成績が良い馬ほど高価な外科治療が選択されがちであったという偏向が生じた)が確認されました。
この研究では、基節骨骨折が競走能力におよぼす影響をより包括的に評価するため、様々な因子(治療法、骨折線の長さ、性別、年齢、レース距離)を統計処理に含めることで、予測される競走能力指数およびレースタイムへの影響度合いを計算する手法が試みられました。その結果、骨折前と治療後における競走能力指数への影響度合いでは、保存性治療郡では0.7ポイント、外科治療郡では0.8ポイントの競走能力指数の有意な減少が予測され、両手法のあいだに顕著な差異は認められませんでした。一方で、骨折前と治療後におけるレースタイムへの影響度合いでは、保存性治療郡では骨折前と治療後で有意なタイムの増加は予測されなかったものの、外科治療郡では0.9秒のレースタイムの有意な増加(=競走能力の減少)が予測されることが示されました。これは、外科治療郡の馬はもともとの競走能力が高かったため(骨折前のレースタイムが優れていた)、治療後のレースタイムと比較した場合には、統計的に有意な減少が認められたものと考察されており、また、骨折再発(Fracture recurrence)を予防するため、意図的に低レベルのレース(=優勝レースタイムが長い)への出走へと切り替えられた、という偏向が生じた可能性もあると推測されています。一方で、年齢およびレース距離は、競走能力指数およびレースタイムに有意な影響を及ぼさないことが示唆されています。
この研究では、49頭の患馬のうち、前肢の骨折が41%(20/49頭)、後肢の骨折が59%(29/49頭)で、後肢のほうが前肢よりも基節骨骨折を起こしやすいことが示唆されており、後肢よりも前肢に基節骨骨折を生じやすいサラブレッド競走馬とは、顕著に異なった傾向が示されました。この研究における症例を見ると、49頭のうち46頭をスタンダードブレッドの側対歩馬(Pacer)が占めており、この品種およびレース様式の違いが、基節骨骨折の病態の特徴を反映していると考察されています(側対歩では前肢よりも後肢への荷重が大きくなるため)。
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