馬の文献:手根骨破片骨折(Shimozawa et al. 2001)
文献 - 2016年06月15日 (水)

「日本のサラブレッド競走馬における手根骨破片骨折治療のための関節鏡手術に関する調査」
Shimozawa K, Ueno Y, Ushiya S, Kusunose R. Survey of arthroscopic surgery for carpal chip fractures in thoroughbred racehorses in Japan. J Vet Med Sci. 2001; 63(3): 329-331.
この症例論文では、馬の手根骨破片骨折(Carpal chip fracture)に対する外科的療法の治療効果を評価するため、1993~1995年にかけて、手根骨破片骨折を呈して、関節鏡手術(Arthroscopy)による骨片摘出(Fragment removal)が応用された155頭のサラブレッド競走馬の、医療記録(Medical records)の回顧的解析(Retrospective analysis)、および、着順指数(Placing index)を用いての競走成績の評価が行われました。
結果としては、155頭の症例のうち、関節手術の後にレース復帰を果たした馬は83%(128/155頭)にのぼり、復帰後の出走回数は6.3回(中央値)で、骨折発症からレース復帰までには、248日(中央値)を要したことが報告されています。また、症例馬の術後の着順指数を見ると、対照馬(=症例馬と同一レースを走った馬)とのあいだに、有意差は認められませんでした。このため、サラブレッド競走馬の手根骨破片骨折では、関節鏡手術を介しての骨片摘出によって、十分な病巣治癒と良好な予後が達成され、早期のレース復帰、および競走能力の維持を果たす馬の割合が、比較的に高いことが示唆されました。
この研究では、155頭の症例に起きた184箇所の骨折の発症場所を見ると、橈骨遠位端(Distal end of radius)が48%(88/184箇所)と最も多く、次いで、橈側手根骨(Radial carpal bone)が28%(52/184箇所)、第三手根骨(Third carpal bone)が14%(26/184箇所)、中間手根骨(Intermediate carpal bone)が10%(18/184箇所)となっていました。他の文献を見ると、米国のサラブレッド競走馬における手根骨破片骨折は、遠位橈側手根骨(Distal aspect of radial carpal bone)に最も多く発生することが報告されており(Thrall et al. JAVMA. 1971;159:1366, Palmar et al. JAVMA. 1986;188:1171)、このような好発部位の相違は、走路状態の違い(Difference in track conditions)に起因するという考察がなされています。
一般的に、馬の手根関節は、前腕手根関節(Antebrachial-carpal joint)と中間手根関節という二つの主要関節で構成されていますが、関節伸展(Joint extension)の際の解剖学的特徴を見ると、中間手根関節は上列と下列の手根骨同士が閉じるだけの蝶番式関節(Hinged joint)なのに対して、前腕手根関節は上列の手根骨と橈骨遠位端が閉じたあと、さらに僅かに回転する動きを起こすため、蝶番式関節と滑走式関節(Gliding joint)の両者の特性を併せ持つという違いがあります。つまり、中間手根関節における破片骨折は、上列と下列の手根骨が衝突することが主要因で起こるのに対して、前腕手根関節における破片骨折は、手根関節が過伸展(Hyper-extension)して上列手根骨と橈骨関節面の上端が接触することが主要因で起こると考えられています。このため、日本のサラブレッド競走馬において橈骨遠位端の破片骨折が多い要因としては、手根関節の過伸展を生じやすい走路状態(ダート走路よりも蹄反回を妨げやすい可能性のある硬い芝走路の地質のため?)が関与しているのかもしれません。
この研究では、関節損傷を定量的に評価(Quantitative analysis)するため、グレード1:僅かな関節軟骨の細繊維化および骨折縁から5mm以内の破片化、グレード2:骨折縁から5mm以上および関節面の30%以下の関節軟骨変性、グレード3:関節面の50%に達する関節軟骨変性、グレード4:骨折による重度の骨損失、という四段階の病変点数化システムが応用されました(McIlwraith et al. JAVMA. 1987;191:531)。そして、155頭の症例における184の骨折箇所のうち、グレード1が83%(153/184箇所)、グレード2が15%(28/184箇所)、グレード3が2%(3/184箇所)を占めており、グレード1とグレード2の関節損傷を呈した症例馬を比べると、術後の着順指数に有意差は認められませんでした。
一般的に、馬の手根骨破片骨折では、軟骨損傷のグレードが高い症例ほど、レース復帰できる割合が有意に低下することが示されていることから、馬の手根骨破片骨折に対する関節鏡手術では、骨片摘出だけに気を取られることなく、骨折部周囲の関節軟骨の重篤度を慎重に評価することで、より正確な予後判定(Prognostication)に努めることが重要であると考えられました。また、この研究では、中間手根関節よりも前腕手根関節の破片骨折のほうが、軟骨損傷のグレードが高い傾向が見られ、この要因としては、中間手根関節では関節面全体に負荷が分散するのに対して、前腕手根関節の破片骨折では、突出した橈骨遠位端に負荷が集中しやすいことが挙げられています。
この研究では、関節鏡手術を介しての骨片摘出による術後合併症(Post-operative complication)として、手根関節炎(Carpal arthritis)を呈した馬は15%(23/155頭)にのぼり、この関節炎は、橈側手根骨および第三手根骨の骨折において、発症率が高かったことが報告されています。このように、馬の手根骨の破片骨折後に、予後に大きく影響する要因のひとつである、手根関節炎の発症が見られた理由としては、手術から運動復帰までの休養が不十分であったことが挙げられています。また、今後の研究では、骨折の発症箇所だけでなく、軟骨損傷の度合い、手根骨間靭帯(Inter-carpal ligament)の異常の有無、滑液検査(Arthrocentesis)の所見、滑液および血液中のバイオマーカー濃度などの、変性関節疾患(Degenerative joint disease)の続発に関与する危険因子(Risk factors)を評価すること、および、術後合併症の予防に寄与する管理運動指針(Controlled exercise program)の確立に努めること、などが重要であると考えられました。
この研究では、手術後の競走能力を評価する指標として、着順指数が用いられましたが、この指数は出走頭数(Number of starters)と着順(Placing)の関係のみによって算出されるという限界点(Limitation)があります。つまり、調教師が骨折病歴を考慮して低クラスのレースへと転戦した場合には、競走能力が過大評価(Over-estimation)される反面、例え高クラスでも少数精鋭が参加するレースに出走した場合には、競走能力が過小評価(Under-estimation)されるという問題が生じるため、関節鏡手術の治療効果と着順指数が常に相関するとは限らない、という考察がなされています。このため、今後の研究では、術後の出走回数を加味した指数の算出、一レース当たりの獲得賞金の評価(低レベルのレースほど賞金も低いケースが多いため)、骨折前と術後のレースタイムの比較、などを行うことで、馬の手根骨破片骨折に対する外科的療法の治療効果を、より正確に評価できると考えられました。
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