馬の文献:篩骨血腫(Smith et al. 2009)
文献 - 2020年05月31日 (日)
「馬の進行性篩骨血腫の診断と治療」
Smith LJ, Perkins J. Standing surgical removal of a progressive ethmoidal haematoma invading the sphenopalatine sinuses in a horse. Equine Veterinary Education. 2009; 21: 577-581.
この研究論文では、翼口蓋副鼻腔(Sphenopalatine sinuses:上写真中のSPS)へと浸潤した進行性篩骨血腫(Progressive ethmoidal hematoma)に対する、起立位での外科的切除(Standing surgical removal)が行われた馬の一症例が報告されています。
患馬は、六歳齢のアイリッシュ・スポーツ・ホースの去勢馬(Gelding)で、進行性篩骨血腫の回帰性病歴(Recurrent history)のため来院しました。紹介獣医師(Referring veterinarian)の治療では、4%ホルマリンの病巣内注入(Intra-lesional formalin injection)による化学的焼烙(Chemical ablation)が試みられ(二週間おきに三回)、一時的に病巣退縮を示したものの、三週間後には血腫の再発(Recurrence)が見られました。そして、筆者による初診時には、片側性の粘性血様性鼻汁排出(Unilateral mucoid sanguineous nasal discharge)の症状が示されました。
診断としては、内視鏡検査(Endoscopy)において、篩骨鼻甲介(Ethmoidal turbinates)から発生した巨大な進行性篩骨血腫が確認され、頭蓋骨のレントゲン検査(Skull radiography)では、篩骨鼻甲介における軟部組織混濁(Soft tissue opacity)が見られました。この研究では、更なる精密診断としてCT検査(Computed tomography)が応用され、鼻腔内の軟部組織腫瘤(Soft tissue mass)が翼口蓋副鼻腔および蝶形骨副鼻腔(Sphenoidal sinus)まで拡張している事が確認され、篩骨鼻甲介の領域における脈管成分増加(Increased vascular component)の所見から、ここが血腫の発生箇所であると推測されました(篩板の侵襲は無し)。
治療では、起立位手術(Standing surgery)での鎮静(Sedation)および局所麻酔(Local anesthesia)のあと、尾側上顎副鼻腔(Caudal maxillary sinus)と前頭副鼻腔(Frontal sinus)への円鋸術(Trephination)、および、前頭鼻腔骨フラップ(Frontonasal bone flap)を介して外科的アプローチされました。そして、副鼻腔鏡(Sinuscopy)によって発見された嚢胞様組織(Cyst-like structure)を切除した後、鼻腔から副鼻腔への排液孔(Sino-nasal fenestration)が設けられました。しかし、血腫の浸潤に伴う骨形成(Ossification)によって、翼口蓋副鼻腔へは到達できなかったため、関節鏡手術用のロンジュールを用いて翼口蓋副鼻腔への開口部(Aperture)が作られました。しかし、それでも血腫全体を視認することは難しかった事から、アプローチ可能な箇所へのホルマリン注入を実施してから、骨フラップをワイヤー固定し、皮膚切開創(Skin incision)が縫合閉鎖されました。
術後の四週間目のCT検査では、篩骨血腫は収縮していたものの、完全には消失していなかったため、二度目の手術が行われ、もとの円鋸孔および骨フラップからのアプローチ後、翼口蓋副鼻腔への開口部をロンジュールで更に広げることで、届く範囲内の血腫が摘出されました。そして、気管支食道鉗子(Bronchooesophageal forceps)や湾曲スポンジ鉗子(Curved sponge forceps)を用いて、レントゲン像で確認しながら、血腫の残存組織(Remnants)が切除され、骨フラップおよび皮膚切開創が閉鎖されました。患馬は、充分な病巣治癒と良好な予後を示し、術後の十五ヶ月目までに血腫の再発(Recurrence)は認められませんでした。
一般的に、馬の副鼻腔疾患におけるレントゲン検査では、複数の骨組織が重複(Superimposition)する領域であるため、正確な診断は難しい場合が多いことが知られています(Behrens et al. Vet Radiol. 1991;32:105, Bertone et al. Vet Clin North Am Eq Pract. 1993;9:75)。一方、円鋸孔や骨フラップを介した副鼻腔鏡検査では、上顎および前頭副鼻腔内の病態を直接的に観察できるという利点があるものの、翼口蓋副鼻腔内の観察は必ずしも容易ではないと考えられています(Ruggles et al. Vet Surg. 1991;20:418, Freeman. Vet Clin North Am Eq Pract. 2003;19:209)。このため、原発病変が副鼻腔の広範囲に及んでいる症例に対しては、三次元的な画像診断(Three-dimensional diagnostic imaging)が可能なCT検査やMRI検査が、極めて有用であると提唱されており(Arencibia et al. Vet Radiol US. 2000;41:313, Tucker and Farrell. Vet Clin North Am Eq Pract. 2001;17:131, Kreeger et al. J Vet Diag Invest. 2002;14:322)、今回の症例においても、CT画像を介して血腫病巣の正確な浸潤度合いが術前診断できたことが報告されています。
一般的に、馬の進行性篩骨血腫の外科的切除では、重篤な術中出血(Severe intra-operative hemorrhage)と多量失血に起因する術後合併症(Post-operative complication due to profuse blood loss)の危険性が高いことが知られています(Freeman. Vet Surg. 1990;19:122, Schumacher et al. Vet Surg. 1998;27:175)。一方、馬の起立位手術では、全身麻酔下(Under general anesthesia)での手術よりも出血が少なくて済むという知見が示されており(Quinn et al. EVJ. 2005;37:138)、今回の症例においても、起立位での円鋸術および骨フラップ術を介した血腫摘出や化学的焼烙によって、劇的な出血を伴うことなく施術できた事が報告されています。しかし、この論文の考察では、敢えて起立位手術を選択した理論的根拠(Rationale)として、出血の減退以外の点は触れられておらず、全身麻酔下での手術でもNd:YAGレーザー等で止血(Hemostasis)することは可能であること、および、起立位手術によって術者に怪我の危険があることを考慮すれば、患馬の気性(Temperament)によっては、やはり横臥位(Lateral recumbency)での手術のほうが賢明な選択である場合も多いと言えるのかもしれません。
一般的に、馬の進行性篩骨血腫の治療において問題になるのは、病巣の摘出そのものではなく、40~50%という高い再発率(Recurrence rate)であることが知られています(Cook and Littlewort. EVJ. 1974;6:101, Specht et al. JAVMA. 1990;197:613, Nickels. Vet Clin North Am Eq Pract. 1993;9:111)。今回の研究でも、紹介獣医師によるホルマリン注入、および、筆者による外科的摘出とホルマリン注入の併用治療が行われた後でも、二度にわたって血腫の再発が起きており、原発病巣を完全に取り除くこと(Complete resection of primary lesion)の重要性を、改めて示唆するデータが示されたと言えそうです。一方、血腫浸潤によって篩板の穿孔や糜爛(Penetration/Erosion of cribiform plate)を生じていた場合には、脳組織へのホルマリンの迷入(Migration)から、致死的な神経症状(Fetal neurologic signs)を呈する危険性があるという警鐘が鳴らされており(Frees et al. JAVMA. 2001;219:950)、今回の研究でも、CT検査による術前診断、および、術中レントゲン検査(Intra-operative radiography)によって、篩板への病巣の浸潤度合いを確かめたり、医原性損傷(Iatrogenic damage)を予防する注意が払われていました。
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この研究論文では、翼口蓋副鼻腔(Sphenopalatine sinuses:上写真中のSPS)へと浸潤した進行性篩骨血腫(Progressive ethmoidal hematoma)に対する、起立位での外科的切除(Standing surgical removal)が行われた馬の一症例が報告されています。
患馬は、六歳齢のアイリッシュ・スポーツ・ホースの去勢馬(Gelding)で、進行性篩骨血腫の回帰性病歴(Recurrent history)のため来院しました。紹介獣医師(Referring veterinarian)の治療では、4%ホルマリンの病巣内注入(Intra-lesional formalin injection)による化学的焼烙(Chemical ablation)が試みられ(二週間おきに三回)、一時的に病巣退縮を示したものの、三週間後には血腫の再発(Recurrence)が見られました。そして、筆者による初診時には、片側性の粘性血様性鼻汁排出(Unilateral mucoid sanguineous nasal discharge)の症状が示されました。
診断としては、内視鏡検査(Endoscopy)において、篩骨鼻甲介(Ethmoidal turbinates)から発生した巨大な進行性篩骨血腫が確認され、頭蓋骨のレントゲン検査(Skull radiography)では、篩骨鼻甲介における軟部組織混濁(Soft tissue opacity)が見られました。この研究では、更なる精密診断としてCT検査(Computed tomography)が応用され、鼻腔内の軟部組織腫瘤(Soft tissue mass)が翼口蓋副鼻腔および蝶形骨副鼻腔(Sphenoidal sinus)まで拡張している事が確認され、篩骨鼻甲介の領域における脈管成分増加(Increased vascular component)の所見から、ここが血腫の発生箇所であると推測されました(篩板の侵襲は無し)。
治療では、起立位手術(Standing surgery)での鎮静(Sedation)および局所麻酔(Local anesthesia)のあと、尾側上顎副鼻腔(Caudal maxillary sinus)と前頭副鼻腔(Frontal sinus)への円鋸術(Trephination)、および、前頭鼻腔骨フラップ(Frontonasal bone flap)を介して外科的アプローチされました。そして、副鼻腔鏡(Sinuscopy)によって発見された嚢胞様組織(Cyst-like structure)を切除した後、鼻腔から副鼻腔への排液孔(Sino-nasal fenestration)が設けられました。しかし、血腫の浸潤に伴う骨形成(Ossification)によって、翼口蓋副鼻腔へは到達できなかったため、関節鏡手術用のロンジュールを用いて翼口蓋副鼻腔への開口部(Aperture)が作られました。しかし、それでも血腫全体を視認することは難しかった事から、アプローチ可能な箇所へのホルマリン注入を実施してから、骨フラップをワイヤー固定し、皮膚切開創(Skin incision)が縫合閉鎖されました。
術後の四週間目のCT検査では、篩骨血腫は収縮していたものの、完全には消失していなかったため、二度目の手術が行われ、もとの円鋸孔および骨フラップからのアプローチ後、翼口蓋副鼻腔への開口部をロンジュールで更に広げることで、届く範囲内の血腫が摘出されました。そして、気管支食道鉗子(Bronchooesophageal forceps)や湾曲スポンジ鉗子(Curved sponge forceps)を用いて、レントゲン像で確認しながら、血腫の残存組織(Remnants)が切除され、骨フラップおよび皮膚切開創が閉鎖されました。患馬は、充分な病巣治癒と良好な予後を示し、術後の十五ヶ月目までに血腫の再発(Recurrence)は認められませんでした。
一般的に、馬の副鼻腔疾患におけるレントゲン検査では、複数の骨組織が重複(Superimposition)する領域であるため、正確な診断は難しい場合が多いことが知られています(Behrens et al. Vet Radiol. 1991;32:105, Bertone et al. Vet Clin North Am Eq Pract. 1993;9:75)。一方、円鋸孔や骨フラップを介した副鼻腔鏡検査では、上顎および前頭副鼻腔内の病態を直接的に観察できるという利点があるものの、翼口蓋副鼻腔内の観察は必ずしも容易ではないと考えられています(Ruggles et al. Vet Surg. 1991;20:418, Freeman. Vet Clin North Am Eq Pract. 2003;19:209)。このため、原発病変が副鼻腔の広範囲に及んでいる症例に対しては、三次元的な画像診断(Three-dimensional diagnostic imaging)が可能なCT検査やMRI検査が、極めて有用であると提唱されており(Arencibia et al. Vet Radiol US. 2000;41:313, Tucker and Farrell. Vet Clin North Am Eq Pract. 2001;17:131, Kreeger et al. J Vet Diag Invest. 2002;14:322)、今回の症例においても、CT画像を介して血腫病巣の正確な浸潤度合いが術前診断できたことが報告されています。
一般的に、馬の進行性篩骨血腫の外科的切除では、重篤な術中出血(Severe intra-operative hemorrhage)と多量失血に起因する術後合併症(Post-operative complication due to profuse blood loss)の危険性が高いことが知られています(Freeman. Vet Surg. 1990;19:122, Schumacher et al. Vet Surg. 1998;27:175)。一方、馬の起立位手術では、全身麻酔下(Under general anesthesia)での手術よりも出血が少なくて済むという知見が示されており(Quinn et al. EVJ. 2005;37:138)、今回の症例においても、起立位での円鋸術および骨フラップ術を介した血腫摘出や化学的焼烙によって、劇的な出血を伴うことなく施術できた事が報告されています。しかし、この論文の考察では、敢えて起立位手術を選択した理論的根拠(Rationale)として、出血の減退以外の点は触れられておらず、全身麻酔下での手術でもNd:YAGレーザー等で止血(Hemostasis)することは可能であること、および、起立位手術によって術者に怪我の危険があることを考慮すれば、患馬の気性(Temperament)によっては、やはり横臥位(Lateral recumbency)での手術のほうが賢明な選択である場合も多いと言えるのかもしれません。
一般的に、馬の進行性篩骨血腫の治療において問題になるのは、病巣の摘出そのものではなく、40~50%という高い再発率(Recurrence rate)であることが知られています(Cook and Littlewort. EVJ. 1974;6:101, Specht et al. JAVMA. 1990;197:613, Nickels. Vet Clin North Am Eq Pract. 1993;9:111)。今回の研究でも、紹介獣医師によるホルマリン注入、および、筆者による外科的摘出とホルマリン注入の併用治療が行われた後でも、二度にわたって血腫の再発が起きており、原発病巣を完全に取り除くこと(Complete resection of primary lesion)の重要性を、改めて示唆するデータが示されたと言えそうです。一方、血腫浸潤によって篩板の穿孔や糜爛(Penetration/Erosion of cribiform plate)を生じていた場合には、脳組織へのホルマリンの迷入(Migration)から、致死的な神経症状(Fetal neurologic signs)を呈する危険性があるという警鐘が鳴らされており(Frees et al. JAVMA. 2001;219:950)、今回の研究でも、CT検査による術前診断、および、術中レントゲン検査(Intra-operative radiography)によって、篩板への病巣の浸潤度合いを確かめたり、医原性損傷(Iatrogenic damage)を予防する注意が払われていました。
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