馬の文献:軟口蓋背方変位(Cheetham et al. 2008)
文献 - 2020年06月14日 (日)
「喉頭Tie-forward手術のあとの競走能力:症例対照研究」
Cheetham J, Pigott JH, Thorson LM, Mohammed HO, Ducharme NG. Racing performance following the laryngeal tie-forward procedure: a case-controlled study. Equine Vet J. 2008; 40(5): 501-507.
この研究論文では、馬の軟口蓋背方変位(Dorsal displacement of soft palate)に対する有用な外科的療法を検討するため、2002~2007年にかけて、安静時または運動中の内視鏡検査(Endoscopy at rest or during exercise)による軟口蓋背方変位の診断が下され、喉頭Tie-forward手術(Laryngeal tie-forward surgery)による治療が行われた106頭のサラブレッドまたはスタンダードブレッド競走馬と、対照症例(Control cases:年齢、品種、性別が合致する馬)との競走能力(Racing performance)の比較が行われました。
結果としては、術前に軟口蓋背方変位の確定診断(Definitive diagnosis)が下された症例郡を見ると(=トレッドミル運動中の内視鏡検査で、八秒間以上の軟口蓋背方変位が確認された場合)、術前にレース出走していた馬は81%、術後にレース出走を果たした馬は66%でした。また、これらの患馬の対照郡では、術前と同時期にレース出走していた馬は97%、術後と同時期にレース出走していた馬は81%でした。そして、症例郡と対照郡を比較すると、術後にレース出走を果たす確率は、両郡のあいだで有意差が無かったことが示されました。一方、運動中の内視鏡検査が行われず、術前に軟口蓋背方変位の推定診断(Presumptive diagnosis)のみが下された症例郡を見ると、術前にレース出走していた馬は80%、術後にレース出走を果たした馬は84%でした。また、これらの患馬の対照郡では、術前と同時期にレース出走していた馬は100%、術後と同時期にレース出走していた馬は90%でした。そして同様に、症例郡と対照郡を比較すると、術後にレース出走を果たす確率は、やはり両郡のあいだで有意差が無かったことが示されました。
このため、軟口蓋背方変位を発症した競走馬に対しては、喉頭Tie-forward手術によって、充分な上部気道機能の回復(Restoration of upper airway function)が見られ、健常馬と同レベルの競走能力を得られる事が示唆されました。今回の研究におけるデータ解析法は、競走馬における能力評価の難しさを反映しており、例え手術によって原発疾患(Primary disorders)が完治した場合でも、その他の理由(運動器病、循環器病、etc)や、年齢的な衰えから、引退するケースも多いため、それぞれの患馬の対照馬とのデータ比較によって、できるだけ客観的に治療効果を評価(Objective assessment of treatment effect)する試みがなされています(=治療効果が無ければ、症例郡のほうがレース出走率の低下度合いが大きくなるハズ)。
この研究では、術前および術後のレントゲン検査(Pre/Post-operative radiography)において、舌骨基底骨(Basihyoid bone)、甲状軟骨の骨形成部(Ossification in the thyroid cartilage)、甲状舌骨甲状関節(Thyrohyoid bone-thyroid articulation)、という三つの箇所を特定して、それぞれの点から、垂直線(下顎骨の尾側垂直端)までの距離(=背側位置:Dorsal position)、水平線(下顎骨の腹側水平端)までの距離(=吻側位置:Rostral position)、および、この二つの線の交叉点に対する角度が算出されました。そして、この距離および角度の測定値を、術前と術後で比較することで、Tie-forward手術による喉頭前進の度合い(Degree of laryngeal advancement)が評価されました。そして、術後のレントゲン像では、術前に比べて、舌骨基底骨の位置は、背側方向に平均3.1mm、吻側方向に平均7.1mm移動していました。また、甲状舌骨甲状関節の位置は、背側方向に平均10.3mm移動していました。さらに、甲状軟骨の骨形成部の位置は、背側方向に平均16.2mm、吻側方向に平均6.0mm移動していました。そして、上述の垂直&水平交叉点に対する甲状舌骨甲状関節の角度は、平均4.3度増加していました。
この研究では、術後のレントゲン検査における、舌骨基底骨の背側位置、および、喉頭マーカーの位置が、レース復帰率と有意に相関していました。まず、舌骨基底骨の背側位置が36.4mm以上の場合には、36.4mm以下の場合に比べて、レース出走できる確率が二倍以上も高いことが示されました(オッズ比:2.04)。また、甲状軟骨の背側位置(甲状舌骨甲状関節および甲状軟骨の骨形成部)が60.1mm以上の場合には、60.1mm以下の場合に比べて、レース出走できる確率が二倍近くも高いことが示されました(オッズ比:1.81)。一方で、甲状軟骨の吻側位置が83.6mm以上の場合には、83.6mm以下の場合に比べて、レース出走できる確率が半分以下に低下することが示されました(オッズ比:0.43)。このため、馬に対するTie-forward手術では、術後のレントゲン像で、舌骨基底骨および喉頭組織の位置を特定して、術前のレントゲン像と比べることで、信頼性の高い予後判定(Prognostication)が可能であることが示唆されました。そして、Tie-forward手術後に良好な競走能力を回復するためには、喉頭の吻尾側方向(Caudo-rostral direction)への移動度合いよりも、背側方向(Dorsal direction)への挙上度合いのほうが重要である、という考察がなされています。
他の文献では、馬の頚部レントゲン像において、首の曲げ具合によって、舌骨基底骨および喉頭組織の位置に、どの程度の誤差が出るのかが評価されています(McCluskie et al. Vet Surg. 2008;37:608)。その結果、頚部を屈曲した状態(Flexed position: 90-degree)、自然な状態(Natural position: 100-degree)、伸展した状態(Extended position: 115-degree)という順に、甲状舌骨と甲状軟骨のあいだの距離が短くなる傾向が認められました。そして、Tie-forward手術の前後におけるこの距離の短縮度合いは、頚部を屈曲した状態では探知することが出来ませんでした。このため、馬のTie-forward手術における、術前および術後のレントゲン検査では、頚部の屈曲状態を避けて、可能な限り自然な状態でレントゲン撮影することで、より正確かつ信頼性の高い、予後判定および手術結果の査定ができると考察されています(McCluskie et al. Vet Surg. 2008;37:608)。
この研究における、喉頭部のレントゲン検査では、舌骨基底骨は固定された組織ではなく、手術によって位置の変化が見られることが確認されており、今後の研究では、より多くの症例の術前および術後のレントゲン像を比較することで、軟口蓋背方変位を発症しやすい舌骨基底骨の位置が存在するのか?、もしくは、Tie-forward手術が奏功しにくい舌骨基底骨の位置が存在するのか?、等をより詳細に検討する必要があると考えられました。人間の医学分野では、舌骨基底骨が腹側にあるほど、睡眠時無呼吸(Sleep apnoea)を発症しやすい事から、舌骨基底骨が背側に位置しているほど、喉頭部の安定性(Laryngeal stability)が高いと考えられており(Riha et al. Sleep. 2005;28:315)、今回の研究における、舌骨基底骨がより背側に移動するほど予後が良い、というデータとも合致していました。
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この研究論文では、馬の軟口蓋背方変位(Dorsal displacement of soft palate)に対する有用な外科的療法を検討するため、2002~2007年にかけて、安静時または運動中の内視鏡検査(Endoscopy at rest or during exercise)による軟口蓋背方変位の診断が下され、喉頭Tie-forward手術(Laryngeal tie-forward surgery)による治療が行われた106頭のサラブレッドまたはスタンダードブレッド競走馬と、対照症例(Control cases:年齢、品種、性別が合致する馬)との競走能力(Racing performance)の比較が行われました。
結果としては、術前に軟口蓋背方変位の確定診断(Definitive diagnosis)が下された症例郡を見ると(=トレッドミル運動中の内視鏡検査で、八秒間以上の軟口蓋背方変位が確認された場合)、術前にレース出走していた馬は81%、術後にレース出走を果たした馬は66%でした。また、これらの患馬の対照郡では、術前と同時期にレース出走していた馬は97%、術後と同時期にレース出走していた馬は81%でした。そして、症例郡と対照郡を比較すると、術後にレース出走を果たす確率は、両郡のあいだで有意差が無かったことが示されました。一方、運動中の内視鏡検査が行われず、術前に軟口蓋背方変位の推定診断(Presumptive diagnosis)のみが下された症例郡を見ると、術前にレース出走していた馬は80%、術後にレース出走を果たした馬は84%でした。また、これらの患馬の対照郡では、術前と同時期にレース出走していた馬は100%、術後と同時期にレース出走していた馬は90%でした。そして同様に、症例郡と対照郡を比較すると、術後にレース出走を果たす確率は、やはり両郡のあいだで有意差が無かったことが示されました。
このため、軟口蓋背方変位を発症した競走馬に対しては、喉頭Tie-forward手術によって、充分な上部気道機能の回復(Restoration of upper airway function)が見られ、健常馬と同レベルの競走能力を得られる事が示唆されました。今回の研究におけるデータ解析法は、競走馬における能力評価の難しさを反映しており、例え手術によって原発疾患(Primary disorders)が完治した場合でも、その他の理由(運動器病、循環器病、etc)や、年齢的な衰えから、引退するケースも多いため、それぞれの患馬の対照馬とのデータ比較によって、できるだけ客観的に治療効果を評価(Objective assessment of treatment effect)する試みがなされています(=治療効果が無ければ、症例郡のほうがレース出走率の低下度合いが大きくなるハズ)。
この研究では、術前および術後のレントゲン検査(Pre/Post-operative radiography)において、舌骨基底骨(Basihyoid bone)、甲状軟骨の骨形成部(Ossification in the thyroid cartilage)、甲状舌骨甲状関節(Thyrohyoid bone-thyroid articulation)、という三つの箇所を特定して、それぞれの点から、垂直線(下顎骨の尾側垂直端)までの距離(=背側位置:Dorsal position)、水平線(下顎骨の腹側水平端)までの距離(=吻側位置:Rostral position)、および、この二つの線の交叉点に対する角度が算出されました。そして、この距離および角度の測定値を、術前と術後で比較することで、Tie-forward手術による喉頭前進の度合い(Degree of laryngeal advancement)が評価されました。そして、術後のレントゲン像では、術前に比べて、舌骨基底骨の位置は、背側方向に平均3.1mm、吻側方向に平均7.1mm移動していました。また、甲状舌骨甲状関節の位置は、背側方向に平均10.3mm移動していました。さらに、甲状軟骨の骨形成部の位置は、背側方向に平均16.2mm、吻側方向に平均6.0mm移動していました。そして、上述の垂直&水平交叉点に対する甲状舌骨甲状関節の角度は、平均4.3度増加していました。
この研究では、術後のレントゲン検査における、舌骨基底骨の背側位置、および、喉頭マーカーの位置が、レース復帰率と有意に相関していました。まず、舌骨基底骨の背側位置が36.4mm以上の場合には、36.4mm以下の場合に比べて、レース出走できる確率が二倍以上も高いことが示されました(オッズ比:2.04)。また、甲状軟骨の背側位置(甲状舌骨甲状関節および甲状軟骨の骨形成部)が60.1mm以上の場合には、60.1mm以下の場合に比べて、レース出走できる確率が二倍近くも高いことが示されました(オッズ比:1.81)。一方で、甲状軟骨の吻側位置が83.6mm以上の場合には、83.6mm以下の場合に比べて、レース出走できる確率が半分以下に低下することが示されました(オッズ比:0.43)。このため、馬に対するTie-forward手術では、術後のレントゲン像で、舌骨基底骨および喉頭組織の位置を特定して、術前のレントゲン像と比べることで、信頼性の高い予後判定(Prognostication)が可能であることが示唆されました。そして、Tie-forward手術後に良好な競走能力を回復するためには、喉頭の吻尾側方向(Caudo-rostral direction)への移動度合いよりも、背側方向(Dorsal direction)への挙上度合いのほうが重要である、という考察がなされています。
他の文献では、馬の頚部レントゲン像において、首の曲げ具合によって、舌骨基底骨および喉頭組織の位置に、どの程度の誤差が出るのかが評価されています(McCluskie et al. Vet Surg. 2008;37:608)。その結果、頚部を屈曲した状態(Flexed position: 90-degree)、自然な状態(Natural position: 100-degree)、伸展した状態(Extended position: 115-degree)という順に、甲状舌骨と甲状軟骨のあいだの距離が短くなる傾向が認められました。そして、Tie-forward手術の前後におけるこの距離の短縮度合いは、頚部を屈曲した状態では探知することが出来ませんでした。このため、馬のTie-forward手術における、術前および術後のレントゲン検査では、頚部の屈曲状態を避けて、可能な限り自然な状態でレントゲン撮影することで、より正確かつ信頼性の高い、予後判定および手術結果の査定ができると考察されています(McCluskie et al. Vet Surg. 2008;37:608)。
この研究における、喉頭部のレントゲン検査では、舌骨基底骨は固定された組織ではなく、手術によって位置の変化が見られることが確認されており、今後の研究では、より多くの症例の術前および術後のレントゲン像を比較することで、軟口蓋背方変位を発症しやすい舌骨基底骨の位置が存在するのか?、もしくは、Tie-forward手術が奏功しにくい舌骨基底骨の位置が存在するのか?、等をより詳細に検討する必要があると考えられました。人間の医学分野では、舌骨基底骨が腹側にあるほど、睡眠時無呼吸(Sleep apnoea)を発症しやすい事から、舌骨基底骨が背側に位置しているほど、喉頭部の安定性(Laryngeal stability)が高いと考えられており(Riha et al. Sleep. 2005;28:315)、今回の研究における、舌骨基底骨がより背側に移動するほど予後が良い、というデータとも合致していました。
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