馬の下顎骨骨折における手術
診療 - 2022年08月06日 (土)

下顎骨骨折の外科治療法について
下顎骨の骨折(Mandible fracture)では、すべての症例が外科的治療を要するわけではありませんが、両側性骨折(Bilateral fracture)または変位性骨折(Displaced fracture)を呈したり、下顎の不安定性(Mandible instability)や咀嚼不全(Malocclusion)等の症状が見られる場合には、外科的整復による骨折部再構築(Fracture reconstruction)が必要であるという提唱がなされています。
切歯(Incisor teeth)を含む下顎吻側部(Rostral mandible)の骨折では、切歯間に渡したワイヤーを用いての口腔内固定法(Intraoral wire fixation)による整復が行われます(上図)。手動処置(Manual manipulation)によって骨折片を正常位置に押し戻した後、切歯間の歯肉部に針を穿孔させ、反対側から針穴を通してワイヤーを通過させ、これを繰り返しながら切歯間に八の字型にワイヤーを渡して締める手法や(上図)、口腔側(Oral side)から口唇側(Labial side)へとループを通過させてその端を締める手法などが用いられています。

雄馬(種牡馬&去勢馬)の症例や、犬歯(Canine teeth)を有する牝馬の個体において、骨折線が切歯と犬歯のあいだに生じた場合には、第三切歯(Third incisor tooth)と犬歯にワイヤーを橋渡しさせての口腔内固定が行われます(上図)。この際には、切歯の根元に切痕(Notch)をきざんで、ワイヤーが上方へ滑り抜けないようにする手法が有効です。

骨折線が片側性に歯槽間縁(Interdental space)に生じた場合には(水平枝部には達していない場合)、第三切歯と第二前臼歯(Second premolar tooth)(=狼歯を除く最前方の臼歯)にワイヤーを橋渡しさせての口腔内固定が行われます(上図)。この際には、切歯間へのワイヤー挿入は上述のように針穿孔を介して行われますが、前臼歯部位は歯肉が厚く、針による貫通は困難であるため、外側頬壁(Lateral cheek wall)に設けた穿刺術創(Stab incision)からアプローチし、歯肉部へのドリル穿孔によって前臼歯間へワイヤーを挿入します。

骨折線が片側性に歯槽間縁より後方に生じて、さらに下顎骨の水平枝部(Horizontal ramus)に達している場合には、口腔内ワイヤー固定法のみでは充分な背腹側方向への安定性を達成できない事もあるため、骨折部の安定性向上のために、上図のようにアクリル素材による固定具強化(Acrylic reinforcement)や、横方向からの螺子固定術(Lag screw fixation)が併用される場合もあります。アクリル素材が使用される場合には、術後に咀嚼痛を生じないように、必要最小限の量の素材を用いて、アクリル素材と口腔粘膜が密着するように装着することが大切です。

下顎骨の水平枝部に骨折を生じた症例では、腹側皮質骨面(Ventral cortex)でのテンションワイヤー固定術(Tension wire fixation)や、外側皮質骨面(Lateral cortex)でのプレート固定術(Plate fixation)による整復が応用される場合もあります(上図)。ワイヤーおよびプレートの設置は、下顎部に腹外側切開創(Ventrolateral incision)を設けることでアプローチが行われ、この際には、耳下腺導管(Parotid salivary duct)を傷付けないように慎重に切開し、螺子挿入の際には先端が歯根部(Tooth roots)に達したり近過ぎたりしないように、術中レントゲン検査(Intra-operative radiography)を介して、螺子の角度&深度を確認することが重要です。

下顎骨水平枝部での骨折に対しては、外固定法(External fixation)の適応も推奨されており、この術式では、閉鎖性整復(Closed repair)が可能である事から術部感染の危険が少なく、かつ固定具の除去(Implant removal)も容易であるという利点があります。また、馬の下顎部には僅かな筋肉&皮下組織しかなく、プレート固定後の縫合が難しかったり、縫合部の術後合併症(Post-operative incisional complication)の危険も高いため、外固定法が好んで使用される場合もあります。下顎骨に用いられる外固定法としては、片側性にSteinmannピンを挿入する手法(Type-I pin fixation)、両側性にSteinmannピンを挿入する手法(Type-II pin fixation)、片側性に骨クランプを設置する手法(Pinless fixation)(上図)などの術式が報告されており、Pinless固定法の方がやや高価ですが、歯根部を傷付ける危険が少ないという利点があります。

骨折線が歯槽間縁より後方に生じて、左右の下顎骨水平枝を巻き込んだ両側性骨折の症例では、極めて重篤な下顎不安定性を生じることから、横方向への骨折片虚脱(Fracture collapse)を続発する危険が高いことが知られています。そのため外科的治療のためには、U字型の金属棒(U-shaped metal bar)を口腔内の頬側面(Buccal surface)に挿入して、この金属棒を切歯および臼歯にワイヤー固定することで、下顎骨全体の横方向への安定性(Side-to-side stability)を維持する術式が有用です(上図)。上述の手法と同様に、切歯部へのワイヤー挿入は針穿孔によって行われ、臼歯部へのワイヤー挿入は外側頬壁を貫通してのドリル穿孔によって行われます。

垂直枝(Vertical ramus)を含む下顎尾側部(Caudal mandible)の骨折では、不完全骨折(Incomplete fracture)の場合には外側皮質骨面でのテンションワイヤー固定術による整復が行われ、完全骨折(Complete fracture)の場合にはプレート固定術による整復が行われます(上図)。骨折部へは頭部側面における湾曲切開創(Curved incision)を介してアプローチされ、骨膜エレベーター(Periosteal elevator)によって皮質骨面を露出することで、ワイヤーおよびプレートの設置が行われます。この際には、顔面神経(Facial nerve)や耳下腺(Parotid salivary gland)を傷付けないように慎重に切開することが重要です。

鉤状突起(Coronoid process)の骨折を起こした症例では、骨折片の外科的切除(Surgical removal)が推奨されており、骨折部の癒合不全(Malunion)による二次性歯科疾患(Secondary dental disorders)を予防できると考えられています。また、顎関節部(Temporomandibular joint)の骨折を起こした症例では、下顎骨関節突起切除術(Mandibular condylectomy)による治療例が報告されています(上図)。
Photo courtesy of Dr Warren Beard Wand Tim Vojt, OSU, CVM, VTH.